B’z、稲葉浩志、INABA/SALASらをサポート キーボーディスト サム・ポマンティ、“縁”に導かれた音楽人生

【連載:個として輝くサポートミュージシャン】サム・ポマンティ
B’z、稲葉浩志、INABA/SALASのサポートで知られるキーボーディスト、サム・ポマンティ。カナダの出身で、著名な音楽家であるルー・ポマンティを父に持つサムは、ゲーム音楽やジブリ映画を通じて日本に興味を持ち、稲葉との運命的な出会いを経て、2023年からは東京に住んで活動を続けている。サポートミュージシャン以外にも、自身のプロジェクトであるKitsunaや、様々なアーティストとのユニットでも活動し、映画やドキュメンタリーの劇判を手掛け、近年では日本の大手ゲーム会社と編曲の仕事も行っていたりと、その活躍は多岐にわたる。不思議な縁に導かれるようにトロントから東京にやってきたサムに、30年間の音楽人生を振り返ってもらった。(金子厚武)
突如訪れたB’z 稲葉浩志との運命的の出会い

ーー日本に興味を持ったきっかけから教えてください。
サム・ポマンティ(以下、サム):小さい頃からゲームやジブリの映画が好きだったんですけど、最初に日本を意識したのは12歳のときです。お母さんの幼馴染がご主人の仕事の関係で日本に引っ越したので、「旅行で日本に行ってみましょう」という話になって、実際に行ったらすごく衝撃を受けて。最初に新宿御苑に行ったんですけど、カナダにある公園とも違って、すごく和を感じたんですよね。2週間の旅行だったんですけど、それが始まりだと思います。
ーーお父さんが著名な音楽家であるルー・ポマンティさんで、サムさんも小さい頃からいろんな音楽に触れていたと思いますが、ゲームやジブリ映画の音楽もお好きでしたか?
サム:とても好きでした。もともと映画やゲームのサウンドトラックが大好きで、ジョン・ウィリアムズもそうだし、近藤浩治さん(『スーパーマリオ』シリーズや『ゼルダの伝説』シリーズで知られる作曲家)のサントラもよく聴いていて、そういう音楽の耳コピからピアノを始めたので、日本の音楽は最初から僕の中にあったんだと思います。あとはR&Bやファンクのファンになって、中学生ぐらいから70〜80年代の音楽をよく聴いていたので、若い頃はサウンドトラックとR&Bの影響が一番大きかったと思います。
ーーR&Bやファンクで特に影響を受けたのはどんなアーティストですか?
サム:スティーヴィー・ワンダー、プリンス、ジョージ・クリントン。この3人の影響が一番大きかったと思いますね。
ーーそれはもう、INABA/SALASの音楽性にも直接的に繋がりますね。
サム:本当にそうですね。

ーー12歳のときの旅行が日本に興味を持つ最初のきっかけとしてありつつ、本格的に日本語を勉強するようになったのは20歳からだったそうですが、それは何かきっかけがあったのでしょうか?
サム:12歳のときに旅行から帰ってきてからは、特別日本のことを気にしていたわけではなく、そこから音楽の道に進み、大学も音楽学校に進学して、音楽漬けの毎日だったんです。でも20歳になって、人生には音楽以外にも何かあるんじゃないか、音楽とは全然関係ない趣味も持った方がいいんじゃないかなと考え、新しい言語を勉強しようと思いました。うちの家族はイタリア系だから、最初はイタリア語も考えたんですけど、日本に旅行に行った経験がすごく楽しかったので、日本語も面白いかもしれないなと思って。それで最初は軽い気持ちで、トロントの日本語学校に登録して、週1回のレッスンに通い始めたら、すぐにハマっちゃいました。
ーーどんな部分にハマったんですか?
サム:日本語自体がすごく好きになったのは大きいと思います。日本語を喋ってるときの口の中の感覚も好きになってきて、最初はあまり発音もよくなかったんですけど、よくなればなるほど、喋るときの感覚が好きになっていきました。また別の言語を使うと考え方も変わってきて、そういう刺激も面白かったです。あとは日本人の“相手への思いやり”はすごく自分の中で響きました。僕はカナダ出身なんですけど、この部分はちょっと似ていると感じていて。カナダはいつもアメリカの影に存在しているせいか、「自分なんか、僕なんか」っていう文化があるんですよ。その部分はちょっと日本に似ているところがあるんじゃないかなと思うようになって、親近感を感じるようになりました。
ーー確かに、日本は島国だからちょっとほかから外れていて、「自分なんか、僕なんか」という感覚をどこかに持っているような気がします。で、そうやって日本語を勉強し始めたら、INABA/SALASのお二人が最初のアルバムのレコーディングのためにルー・ポマンティさんを訪れて、そのときに稲葉さんと初めて会ってるんですよね?
サム:そうですね。その頃はまだ日本語を勉強し始めて半年くらいで、全然会話どころじゃなかったし、まだB’zのことも何も知らなくて。でもスティーヴィー(・サラス)から「この人は日本ですごい人だから、絶対に調べた方がいいよ」って言われたので調べてみたら、ソールドアウトのスタジアムライブ映像とかが出てきて「すごい人じゃん!」と(笑)。それから稲葉さんと話をする中で、僕の活動のこともいろいろ聞いてくださり、「新しい曲ができたら送ってね」と言ってくれて、連絡先を交換して、それからやり取りが始まったんです。
ーーすごいタイミングですよね。日本語を勉強し始めたら、日本の著名なミュージシャンがやってきた。
サム:はい、すごく不思議なご縁でしたね。
コロナ、アルバイト、アメリカ生活……紆余曲折を経て決断した日本移住

ーーそこから連絡を取るようになって、サムさんが日本に旅行に来たタイミングで、B’zのレコーディングにコーラスで参加したわけですよね。
サム:そうですね。本当に偶然だったんですけど、「東京にいるならスタジオにおいでよ」と言ってくれて。でもまだそのときは東京の地理が全くわからなかったので、渋谷駅からスタジオまで1時間くらい歩いたんですよ。
ーー遠い!
サム:地図を見たら近そうだなと思ったんですけど(笑)。で、もともとパーカッションとかタンバリンで参加する予定だったんですけど、着いた頃にはもうそのレコーディングは終わっちゃってて、でも「コーラスでよかったらぜひ歌ってください」と言ってくれて。
ーー最初からコーラスではなかったんですね。さらにはその延長で、B’zの2019年のツアーに参加されたわけですが、あの規模感のツアーに参加する経験は初めて?
サム:初めてでしたね。カナダではホールやシアターに出ることが多くて、一回だけアリーナでもやったことがあったんですけど、全国ソールドアウトのツアーは初めてで、B’zのツアーは僕の初めての晴れ舞台でした(笑)。
ーープレッシャーもあったでしょうね。
サム:あったんですけど、でもその頃はまだちょっと鈍感だったというか(笑)、「楽しみ」っていう気持ちの方が大きかったです。あのツアーはサポートメンバーを一新したタイミングで、それまでキーボードを担当していた増田(隆宣)さんをただ真似するだけでは違うなと思ったし、B’zのお二人も新しい風を求めていると思ったので、自分のままでベストを出せばいいだろうっていう考え方だったんです。
ーーあのツアーでは「イチブトゼンブ」のキーボードソロが話題になりましたが、あれも自分なりに楽しみながらプレイしていた?
サム:そうですね。「イチブトゼンブ」はB’zの代表曲のひとつだし、セットリストの中にシンセで始まる曲はあまりなかったので、これはちょっと目立つチャンスというか、新しい味を入れるチャンスだなと。結果的にはみんな喜んでくれたので、やってよかったなと思いました。
ーー「イチブトゼンブ」以外だと、B’zの中で特に好きな曲、ライブで演奏して楽しい曲を具体的に挙げるとしたら、どの曲が思い浮かびますか?
サム:「今夜月の見える丘に」はただただ素晴らしい曲で、メロディもいいし、コード進行もおしゃれだし、歌詞もすごく素敵な物語で、大好きな曲です。あと「さまよえる蒼い弾丸」はかっこいいですね。ピアノもシンセも大活躍する曲だし、メロディも結構日本っぽくて、ああいう曲はB’zにしかできない気がします。
ーーB’zのツアー後はINABA/SALASの2ndアルバム『Maximum Huavo』の制作に参加して、2020年のツアーにも参加予定でしたが、パンデミックの影響で中止になってしまいました。そこから数年を経て、サムさんは2023年から日本での生活をスタートさせたわけですが、そこに至る経緯を話していただけますか?
サム:B’zとの仕事はそれまでの自分のキャリアのピークになったし、INABA/SALASのアルバム制作もあったので、これからどんな道が開いていくのか、すごく楽しみにしていました。でもそれが一気にゼロに戻ったような感じになってしまい、日本であんなに素敵なツアーやアルバム制作をしたのに、みんな僕のことを忘れてしまうんじゃないかって、一時期は本当に落ち込みました。当時は日本人が経営している焼肉屋さんで、人生で初めて音楽とは関係ないバイトもしたんですけど、それはそれで貴重な経験になりました。
そこからまた少しずつ音楽の仕事をやるようになって、劇伴の仕事をしたり、Kitsunaという自分のアーティストプロジェクトで2つのアルバムをリリースしたんですけど、自分はまだ若いし、もっといろんなことができるはずだと思って。それで2021年にも一度日本への引っ越しを考えたんですけど、そのときは法律的にまだ無理だったんです。それならまずアメリカに行ってみようと思い、2022年から1年間アメリカのロサンゼルスに住んで、いろいろ素敵な現場に関わらせてもらったんですけど、住む場所としては自分にはあまり合わなくて。そんな中で、稲葉さんから「ソロプロジェクトに参加してくれませんか?」という依頼をいただき、久しぶりに日本に行って、「やっぱりここだ!」と思いました。それで『Koshi Inaba LIVE 2023 〜en3.5〜』(2023年に開催された稲葉のソロライブ)が終わってからすぐに準備を始めて、日本に引っ越してきたんです。
ーー紆余曲折を経て、日本に来ることを決めたわけですね。
サム:コロナのあいだもなんとか日本との関係を保つために、めちゃくちゃ日本語を勉強してたんです(2023年に日本語能力試験の最上級レベル「N1」に合格)。だから日本に戻って、稲葉さんと『en3.5』をやって、自分の日本語力がすごく上達したことを実感できたので、「今なら日本に住めるんじゃないかな」って。稲葉さんのことは本当に命の恩人のように考えてますね。稲葉さんとのご縁がなかったら、日本に引っ越してくることもなかったと思うので、もう感謝しかないです。
