ELLEGARDENは永遠の“BOYS”だ! 復活の約束果たした10年ぶりツアー決定に寄せて
2018年5月10日。ELLEGARDENがオフィシャルサイトで、10年ぶりのツアーを行うことを発表した。オフィシャルサイトを見てみると、4人が全身タイツのような出で立ちをした「まさにエルレ」な写真が表れ……あれ、これは過去の写真かしら? 復活はやはり幻? なんて戸惑うも、掲げられている文字を見ると「THE BOYS ARE BACK IN TOWN」とあり、ああ、この“BOYS”たちが帰ってきたんだなあと実感させられる。永遠の“BOYS”、それこそELLEGARDENだ。
それにしても、2008年の9月7日、東京・新木場スタジオコーストでライブが行われてから……そして、その打ち上げで細美に容赦なくプールに投げ込まれてから(このへんのエピソードも“BOYS”感が出ていると思う)、もう10年が経つのか。ELLEGARDENが活動を休止してからも、4人はそれぞれバンドマンとして活動してきた。メンバーも違う、プレイスタイルも違うバンドにおいて、個々に年齢も経験も重ねていった4人。でも、ELLEGARDENとなると、一瞬にして“BOYS”に戻るということが、写真やツアータイトルを見ているだけでわかる。もっというと、戻れなければ、復活もなかったのかもしれない。そして、ELLEGARDENのファンも、このニュースを聞いて“BOYS”や“GIRLS”に心が戻ったのではないだろうか。私自身も、心の奥底に閉まっていたおもちゃ箱がパカッと空いたような、そんな気分だ。
2002年頃に出会ってから、2008年に活動休止するまで、彼らの印象は一貫して“BOYS”……もっと私の言葉にしていうと、ロックキッズだった。名と音が広まっていく中で、ひりひりした空気を感じたこともあった。演奏力が向上し、楽曲の説得力も増していくという成長もあった。でも、音楽やELLEGARDENに対する彼らのピュアな姿勢は、小さなライブハウスに立っている時も、幕張メッセに立っている時も、一切のブレを感じることがなかった。MCでWEEZERや様々なバンドへの愛を話していたことを覚えているファンも多いだろうけれど、インタビューでも「○○の新譜聴いた?」「最近かっこいいバンドいる?」とニッコニコの笑顔で問いかけられたことを思い出す。彼らのロックキッズな精神性が、フロアのロックキッズを踊らせ、笑わせ、泣かせるELLEGARDENの楽曲を生み出していたことは、間違いない。そして、復活までに時間がかかったことも、復活の約束を果たしたことも、ロックキッズとしての彼らの誠実さだと私は思う。
4人それぞれが様々な音楽に影響を受けていることは、周知の事実だと思うけれど、ELLEGARDENとしての歴史をざっくりとひもとくと、ギターロック~ポップパンク~エモなど、当時のロックシーンのあらゆる場所に“触れる”ような楽曲を生み出していた。歌詞も、英詞と日本語詞をしなやかに使い分け、当時はまだまだ高かった洋楽と邦楽の壁を越える可能性を感じさせてくれた。また彼らは、こうして絶妙なテクニックを発揮しながら、何より私たちの“近く”に響く音楽というところに重きを置いていた。どんなに存在が大きくなっても、小さなライブハウスを細かく廻るスタイルを続けたところにも関わっているが、これが、どんなジャンルにおいても語れるし、逆に唯一無二でもある、ELLEGARDENの魅力である。
3rdアルバム『Pepperroni Quattro』のライナーノーツは、私が書かせてもらったのだが、当時の私は「この音楽に包まれていれば、どこまでだっていける」と書いている。そういった無敵感を、彼らの楽曲は、彼らのライブは、ロックキッズにプレゼントしてくれた。自分自身の不甲斐なさと闘いながら飛び散った汗と涙を、輝かしいメロディに変えた楽曲。一人っきりでロックにすがって生きている日常から、一歩前に……どころか高くダイブさせてくれるライブ。きっと彼ら自身にとっても、ELLEGARDENは、そういう存在だったのではないだろうか。
ツアーは、8月8日の東京・新木場スタジオコースト、8月10日の仙台PIT、そして8月15日の(彼らの地元)千葉・ZOZOマリンスタジアムという3箇所。新木場と仙台は2900円、スタジアム公演でも4900円という価格も彼ららしい! 〈願い事をしようぜ 簡単なやつを 君が一人きりじゃなくて そばに誰かがいて手を握っててくれるように〉(和訳)――あの日、「Make A Wish」に込めた願いが、叶う日がいよいよ、やってこようとしている。ELLEGARDENが放つキラッキラの光に、再び包み込まれる瞬間は、もうすぐだ!
■高橋美穂
仙台市出身のライター。㈱ロッキング・オンにて、ロッキング・オン・ジャパンやロック・イン・ジャパン・フェスティバルに携わった後、独立。音楽誌、音楽サイトを中心に、ライヴハウス育ちのアンテナを生かしてバンドを追い掛け続けている。一児の母。