森山直太朗とは、つまりどんな人物なのか? オールタイムベスト『大傑作撰』を機に改めて考える

森山直太朗について改めて考える

 デビュー15周年を迎えた森山直太朗がオールタイムベストアルバム『大傑作撰』をリリースした。本稿は「“森山直太朗とは何者か?”をコラムで解説」してほしいという編集部からの依頼によるものだが、これは本当にハードルが高い。筆者は音楽ライターとして何度も森山直太朗にインタビューを行っているが、情けないことに“捉えどころのない人だな”という印象からなかなか脱することができない。取材の場でその音楽的な本質に迫ろうとすると、独特のユーモアと飄々とした雰囲気でスルリとかわされてしまうのだ。

 「僕にズボンを買ってくれる人」(阿部サダヲ)、「神の子。ざわわの倅。時々グズ」(綾小路 翔)、「キャンプに行くときに、なんか誘いたくなる」(ピエール瀧)。ベスト盤の特設サイトに掲載されている著名人のコメントを見ても、言い方はそれぞれ違っているが、直太朗の“捉えどころのなさ”は一貫している。もっともわかりやすく“森山直太朗像”を示しているのは、武部聡志の「唄の上手い変わったヤツ」というコメントだろうか。

 またCDのブックレットに掲載されている直太朗と関わりのある方々からの文章も、その人によって視点が大きく異なる。友部正人はニューヨークでの思い出を綴り、Bose(スチャダラパー)は「どこもかしこも駐車場」の魅力を語り、亀田誠治は直太朗の声質、ファルセットの技術について解説し、さだまさしは直太朗の人間性、笑いのセンス、そして音楽性について厳しくも優しい言葉を寄せているのだ。強く印象に残るのは、どの文章からも彼に対する愛がしっかりと伝わってくること。本当に幅広い魅力を持っていて、たくさんの人たちに愛されている(気になる、と言ってもいいかもしれない)人間なんだなと改めて思う。

 このように森山直太朗のイメージは人によってまったく異なるわけなのだが、御徒町凧とのソングライティング・チームの素晴らしさ、ボーカリストとしての圧倒的な表現力は誰もが認めるところだろう。そして本作『大傑作撰』を聴けば、時期によって歌の表現がこちらの想像以上に変化していることがわかるはずだ(これもイメージの多様性を生み出すひとつの要因だろう)。トラディショナルなフォークミュージックの後継者という色合いが濃いミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でシーンに登場した直太朗は、「夏の終わり」「さくら(独唱)」といったヒット曲で瞬く間に知名度を上げる。このときの状況の変化によって、直太朗の歌は一気にパワー感、スケール感を増していくことになった。そのひとつのピークが壮大なメッセージ性を備えた「生きとし生ける物へ」だろう。

森山直太朗「生きとし生ける物へ」

 その後、シアトリカルな要素を取り入れたライブ、「若者たち」のカバーをはじめとする様々なトライアルを繰り返してきた直太朗は、徐々に独自の創造性、ボーカリゼーションをしっかりと捉え始める。その最初の到達点はもちろん「どこもかしこも駐車場」。ベスト盤のブックレットに掲載されているインタビューで直太朗は、この曲を「初めて自分の声で歌えた感じがした曲」と説明しているのだが、その言葉通り、日常の風景と諸行無常の世界観が溶け合うような御徒町の歌詞を彼は、まるですぐそばで語りかけてくるような自然さで描き出しているのだ。その後も「コンビニの趙さん」をはじめとする前衛と普遍が共存した楽曲を生み出してきたわけだが、秦基博が「シンプルの極みであるはずの『嗚呼』の叫びの中にたくさんの感情や景色が感じられる」と称した「嗚呼」における奥深いボーカルは、現時点における森山直太朗の最高峰と言っていいと思う。

 ライブ・パフォーマンスの内容も、ここにきてさらに深みを増している。現在の直太朗のライブの素晴らしさをリアルに体感できるのが、『大傑作撰』初回限定盤DVDに収録されたライブ映像。アコースティック楽器を主体としたアレンジによる一発録りで「夏の終わり」「どこもかしこも駐車場」などを歌うーーその生々しい響きは、亀田誠治が「バイオリンでいえばストラディヴァリウス。何百年にひとつの名器」と称した声の良さを改めて証明することになりそうだ。

森山直太朗「どこもかしこも駐車場」

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