「21世紀のR&Bバラードは90年代の余韻」松尾潔の考える、R&Bの変わらないスタイルと美学

松尾潔の考える、R&Bの変わらない美学

R&Bは本歌取り

――今や商業音楽においてはブラック・ミュージックが支配的だと言っていいと思いますが、90年代までそういう状況だったことを思うと、短期間でずいぶん変化したなという気がします。

松尾:パリ・コレクションでヒップホップが流れたりすると「時代も変わったね」と思いますが、ヒップホップがメジャーシーンに登場したといわれる1979年から、すでに30年以上たっているわけですよね。80年代のパリコレではロック・ミュージシャンとのコラボが普通に見られましたが、ロックンロールの誕生を50年頃とするとやはり30年くらい。だから30年という期間が特別に短期間だというわけではないと思います。先日菊地成孔さんのラジオに出たときにこの話題になって気づいたんですが。

 日本に目を移しても、久保田(利伸)さんが登場する前から(山下)達郎さんやマーチン(鈴木雅之)さんはブラック・ミュージックに触発された歌をうたっていたわけですし。もっとも、達郎サウンドを聞いて「この曲はアイズレー・ブラザーズにインスパイアされてる!」と指摘する人はいつの時代でも少数派でしょうが(笑)。

――ジャズとR&B、ヒップホップの関係というのはどんな感じなのでしょう?

松尾:ぼくが『メロウな日々』の中で本人から聞いた話として書いた、クインシー・ジョーンズがソウル路線に移行したときにジャズ仲間からディスされたことによく現れているように、ジャズ・ミュージシャンにR&B/ソウルを見下す傾向があったことは否めません。セルアウトの象徴として。でも、そんなジャズメンもヒップホップを認めるのは比較的早かった。

 菊地さんと半分冗談で話したことがあるんですけど、いわゆる「父親殺し」というか、子供が父親を憎いと思うというのは誰でも経験することですし、逆に親が子供を憎たらしく思うようなこともありますよね。ところが、おじいちゃんになると無条件に孫を可愛がり、孫もおじいちゃんには父親に向ける牙を見せることはない。それは丁度、ジャズとR&Bとヒップホップの関係に似ているのではないかと(笑)。

――菊地さんの解釈は相変わらずフロイディアンですねえ(笑)。 

松尾:(笑)。R&Bがいま主流であると見なされている理由は、R&Bが後発であるヒップホップをフィードバックして作り出されているというところにあると思います。

 ラップとして初めての全米トップ40ヒットになったシュガーヒル・ギャングの「Rapper’s Delight」のバックトラックは、シック「Good Times」のベースラインを延々とループしたもの、というのはよく知られるところです。そんな歴史的物証が存在するように、ヒップホップは既存のビートなどを拝借した、いわば「ドロボー音楽」としてスタートしました。

 そうした出自を喧伝することで、ヒップホップは、ブラック・ミュージックというものはそもそも懐かしさの追及なんだ、懐かしさを1パーセントも含んでいないような音楽は面白くないんだ、懐かしさを含みつつ似ていないというのが理想なんだ、ということを明らかにしました。現在はR&Bのトラックも、まずはループを組んで、というヒップホップ以降の手法で作られていることがほとんどです。

 ところが、そういうR&Bの本質が訴訟ネタになってしまったのが、例のロビン・シック裁判なんです。

――あの裁判はびっくりしました。

松尾:ぼくもびっくりしました。というのは、R&Bの作り手にとって、頭に浮かんだインスピレーションに向かって曲を作るというのは大前提なのに、具体的な部分でなく、「雰囲気」を借用されたということが裁判の論点になっていたからです。

 ぼくは中学生のころにはすでに自分で買うレコードのほぼ全てがブラック・ミュージックと呼ばれるものでしたが、例外的に白人ミュージシャンの82年の新作を自腹で2枚買っていて。ドナルド・フェイゲンの『The Nightfly』と、ジョー・ジャクソンの『Night And Day』。両方とも「ナイト」がタイトルに入っているんですが、2人ともジャズ・フリークであり黒人音楽フリークなんですね。

 『The Nightfly』の有名なジャケットは、フェイゲンがラジオDJを模している設定でしたが、DJはソニー・ロリンズの『Sonny Rollins And The Contemporary Leaders』をかけていて、それとわかるようにテーブルにはジャケットが置かれている。この『The Nightfly』というアルバムは、ソニー・ロリンズをオマージュの対象としているんだぞと明示しているわけです。

 ジョー・ジャクソンの『Night And Day』も、二つ折りのジャケットを開くとスタジオの風景が写っていて、そこには見てくれと言わんばかりに目立つようマーヴィン・ゲイの『Super Hits』が配されています(笑)。音のほうも、マーヴィン的な雰囲気を再現すべく、ローランドTR-808という当時は最新式だったリズム・マシーンをフィーチャーしているという。そうしてできたヒット曲が「Steppin’ Out」であり、そこからさらに派生したのが米米CLUBの「浪漫飛行」ではないかと。

 ポップ・ミュージックだけでなく他のジャンルでも常識になっている、ポストモダンという考え方が出てきて以降の、いわば再構築ですよね。R&Bも、もともとは日本で言うところの「本歌取り」のようなものとして成り立っていたものなんです。

――「雰囲気」が似ているから盗作ってネットのパクリ糾弾みたいな話なんですけど、驚くことにロビン・シック側が負けてしまったという。

松尾:久保田利伸さんとも話したんですが、「あれでロビン・シックが裁判で負けるなら、俺たちがやっていることはどうなるんだろう」と。彼とはシャレで「今回のアルバムはマーヴィンが3曲、ボビーは2曲あります」なんて会話を楽しんでいるくらいで(笑)。でもそれはシャレですよ、シャレ。パクリということではけっしてなくて、あくまで彼らにオマージュの気持ちを捧げているということなんです。ロビン・シックより若いアーティストでも、たとえばクリス・ブラウンを聴けば、明らかにマイケル・ジャクソンがモチーフだとわかる「Fine China」って曲があるわけで。

 R&Bでは、「オリジナリティがない!」と突っ込むのは野暮だとされていたし、本歌取りと同じで、質の悪いオリジナルにこだわるよりも、先人の所産にもちゃんと目配りしてますよという教養をチラつかせた作り方のほうが、むしろ粋だとされてきました。ぼくはR&Bのそういう美学をこよなく愛しているんですが。

――でも、ブラック・ミュージックのその感覚って、いわゆる渋谷系的な「引用」とは違いますよね。もっとコミュニティに密着した、先代の遺産を後続が受け継ぐという意識から来ているように思えます。

松尾:ぼくは世代的には渋谷系ど真ん中なんですが、渋谷系といわれる音楽はほとんど聴いていなかったし、そう呼ばれるミュージシャンの知り合いも皆無でした。後になって渋谷系とはこういうものなのかと多少わかったくらいです。渋谷系の偉大なるメンターと呼ばれる川勝正幸さんと一緒の事務所(ドゥ・ザ・モンキー)にいたこともあるし、定期的に事務所に来ていたスチャダラパーもよく見かけていたんですけどね。

 黒人音楽に影響を受けるにしても、ブラック系のディスコやクラブに本籍地を置いているか、いないかで大きな違いがあったと思います。ブラック系ディスコの人たちはムードやフィーリングの理解と維持を何より尊重するんですよ。だから先人の音楽を使わせてもらうにしても、違う文脈で使うということに対して慎重なんです。エクスパンドすることはあっても文脈は変えない。

 だけど渋谷系は、徹底的に素材の一部としてコラージュしますよね。そういう手法で新しいものを作り出すのが良いことだとされていたわけですが、その点が決定的に違ったんだと思います。アニエスべーのボーダーを着た男の子が、南部の黒人音楽を切り刻むというカルチャー。藤原ヒロシさんあたりの影響も大きいのかな。

 新宿のディスコ文化から福生や立川の黒人文化に行った人と、パンク〜ロンドンのストリート・カルチャーからヒップホップにたどり着いた人との違いと言いますか。基地からのアメリカ文化なのか、イギリス経由のアメリカ文化なのかということですね。

 でもこの年齢になってより俯瞰した見方をしてみると、渋谷系のアイコンの小沢健二さんもぼくも、ラックに入っているレコードには同じものも多かっただろうとも思います。彼とは一面識もないのですが、同じ年に生まれていますし。渋谷系の人たちも、ぼくのようなタイプのことを「ベイエリアのチャラチャラしたディスコやクラブの連中」とか思っていたかもしれませんが、今になってみれば、みんな同じ国の同じ時代に生きていたんだなと思いますね。

――「基地を経由しているか、いないか」という指摘は示唆的ですね。戦後日本の大衆音楽というのは全部基地から出てきたわけですけど、渋谷系というのはその系譜から切れたところから出てきたものとも言えるのか。

松尾:この前、友人の漫画家、井上三太くんが「松尾さん、これ知ってます?」って、ceroというバンドを聴かせてくれたんですが……

――ああ、今まさにceroの話をしようと思っていたところでした(笑)。

松尾:ぼくは「オザケンみたいだね」と感想を述べました。ブラック・ミュージック・オリエンテッドなリズムでありながらも、日本人的な声質を否定しないノンビブラート唱法。その時は曲を聴いただけだったんですが、後でYouTubeの彼らの動画を見てみたら、自分が想像したとおりのいでたちでしたね(笑)。

――フィッシュマンズを連想するという人もいますね。やはり歌い方で。ceroはリズム的には、昨今話題の『Jazz The New Chapter』的な流れを取り入れた感じですよね。

松尾:『Jazz The New Chapter』という書籍を端的に定義するとどのようなものなんでしょうか。ぼくはそのあたり、あまり自信がないんです。

――そうですね……、ヒップホップ以降のクラブ・カルチャーを取り込んだ、変容したリズムを中心とするジャズ、って感じでしょうか。

松尾:いわゆるロバート・グラスパーを代表とするムーブメントの総称ということでしょうか。ロバート・グラスパーが今のような大スターになる前から、ロイ・ハーグローヴやニコラス・ペイトンといった先進的なジャズ・ミュージシャンたちがいるわけですが、そういう流れの話ですよね?

――そうですね。ただ、日本発の文脈ですので。監修の柳樂光隆氏に「アメリカにもこういうニュー・チャプター的な捉え方ってあるの?」と聞いたら「ないと思います」という答えでした。

松尾:ホセ・ジェイムズとか、大学できちんとジャズを学んだ人たちというイメージがありますけど。

――バークリー音楽大学とか。

松尾:バークリーよりも、ニューヨークにあるニュースクール大学でしょうか。ロバート・グラスパーやホセ・ジェイムズ、ビラル、日本人では黒田卓也さんなどがあそこの出身ですよね。ニュースクールのほうがバークリーよりもさらに新しい潮流という感じがします。

 バークリーはやはり穐吉敏子さん以来の伝統がありますし、ぼくらが少年時代にジャズを勉強しようとしたら、ナベサダ(渡辺貞夫)さんのバークリー・メソッドに関する書籍『ジャズスタディ』が真っ先に挙がっていました。ぼくらの世代が東京でR&Bをレコーディングするとき、スタジオに集うミュージシャンの5、6人に1人は必ずバークリー音楽大学出身者がいます。ジャズやR&Bといったブラック・オリジン・ミュージックを学ぶための留学先としては、それくらいバークリーが支配的な感じでしたが、もっと若い世代になるとそうでもなくなってきてるかも。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる