「21世紀のR&Bバラードは90年代の余韻」松尾潔の考える、R&Bの変わらないスタイルと美学

松尾潔の考える、R&Bの変わらない美学

ポップ・ミュージックで大事なのは歌詞

松尾:先ほどから何度か言っていますが、ぼくは本歌取りのようなことが好きだったせいか、自分の書いた詞についても、たとえばEXILEの「Lovers Again」の詞は「ルビーの指輪」に似てますね、なんて言われたりするんですね。

――『BRUTUS』の松本隆特集で「最近類似に気づいた」とおっしゃっていた。

松尾:去年書いたJUJUの「ラストシーン」についても、「この曲は沢田研二さんの『勝手にしやがれ』のパロディですか?」「今度のオマージュは阿久悠さんですか?」と訊かれました。たしかにそういうところもあるのかも、という気はします。

――意識はしていなかったのに出てしまった?

松尾:そうなんですよ。言われてみればたしかに似ているな、と他人事のように(笑)。密室で行き詰まりを感じている男女が背中合わせで、というシチュエーションはたしかに昔、沢田研二の歌で聴いたことあるな、ディテールを変えただけじゃないか、という感じで。もっとも、ディテールだけ変えて同じことを延々とやっていくというのがR&Bの本質だと、以前から書いたり言ったりしてきたので、自分なりの言行一致なんですけどね。

――阿久悠についてはどう評価されていますか。

松尾 阿久さんは徹底したポストモダニストですよね。いろいろな引用元をたくさん持っていて、そういう話を人前ですることも楽しんでいらしゃいました。

 それに対して、なかにし礼さんは、たとえば菅原洋一さんの「知りたくないの」の歌詞にある「過去」という言葉について「今までのポップ・ミュージックでは使われたことがなかったから僕が使った」と誇らしげに語られるような、オリジナリティ重視型の作詞家なんです。

 お二人は両雄という感じで、事実ライバルだったと言えますが、オリジナリティを信奉していたなかにしさんは、文芸方面にも進まれて作家としても活躍されています。

――『長崎ぶらぶら節』で直木賞も獲ってしまいました。阿久さんも小説を書いていましたね。

松尾:阿久さんの『瀬戸内少年野球団』も賞を獲ってもおかしくない内容でした。

 今になって思うのは、阿久さんの詞は、時代を示す記号として圧倒的に強いということです。それもフックが彼の中にたくさんあるからなんですね。

 なかにし礼さんについては、彼の半生がどういうものだったか作品を読めば大体わかりますが、阿久さんは作品を読んでも彼の人生は見えてこない。

――阿久さんは虚構指向の人ですよね。リサーチと手法に重きを置くと、作詞法の本で書かれているのを読みました。私小説的な指向性はまったくないですね。

松尾:そうですね。もともとテレビの構成の仕事などをされていた方でしたし。

――松尾さんも作詞家と見られることが多いとどこかで読みましたが。

松尾:そうなんです。「松尾さんはEXILEとかJUJUの泣けるバラードの詞を書いていらっしゃるんですよね」というファンの方が多く、ツイッターなどを見ても、ぼくは、音楽を作る人というよりも、泣ける歌詞を書くおじさんというイメージを持たれているようです。元々は洋楽のリミックスから制作畑に入ってきたのに(笑)。

 でもそれは想定内のことで、J-POPでメガヒットの曲を作ろうと思ったら、そう言われるようにならないとダメなんです。なぜなら、歌謡曲からJ-POPというのは歌詞オリエンテッドの世界であって、とにかく一にも二にも歌詞の大切さが付いてまわるものだからです。達郎さんでさえ「自分のプロ・ミュージシャンとしての活動の多くは日本語の歌詞との格闘だった」と公言されているほどに。

 洋楽かぶれが高じて日本のマーケットに参入したようなミュージシャンで「マニアも唸らせる」とか言われて素直に喜んでいる人を見ると、ぼくは複雑な気分になってしまいます。褒めている人も気づいていないのでしょうが、広い視野でポップ・ミュージックを見ることができないだけという場合がほとんどなので。「マニアも唸らせる」と言いながらその実「マニアしか唸らせていない」音楽がいかに多いことか。自分の周りのマニアの顔色だけをうかがっていれば、そりゃ彼らを唸らせることはできますよ。でも、日本全国1億2千万人のほとんどはトリセツ不要のポップスを求めているわけですし、そういう人たちに訴求する音楽を作るためには、今までとは違うディメンションに向かう必要がある。そういうことをぼくは最近10年間で学びました。

――うんうん、すごくよくわかります。

松尾:80年代後半から90年代半ばくらいまでは、ジャム&ルイス、LA&ベイビーフェイス、テディ・ライリーの3組がR&Bミュージックのトップ3と言われていました。

 日本でも、リズムの革新者テディ・ライリー、傑出した美メロメーカーのベイビーフェイス、総合力のジャム&ルイスという紹介をされていましたが、ライターとしてアメリカやイギリスを訪れると、彼の地の音楽業界の人から必ず聞くのは、「ベイビーフェイスの歌詞は本当にいいねえ」という話でした。メロディメーカーとしての評価はその次にくる話で。

ベイビーフェイスの歌詞は昔のスモーキー・ロビンソンのように素晴らしいという見方があるんですが、スモーキーの歌詞の良さは、ボブ・ディランが褒め称えたことで日本の音楽ジャーナリズムにもある程度は伝わりました。ベイビーフェイスも、彼が書いた歌詞を、たとえばモリッシーやマイケル・スタイプあたりの白人ロック・ミュージシャンが称賛してくれていたらぜんぜん違う評価になっていたかもしれませんね。

――海外でも状況は同じなんですねえ。Jポップのリスナーは、歌詞を聴く人と、曲を聴く人に二分されるなんてよく言われますが、そもそも日本のポピュラー音楽を巡る言説が歌詞にすごく偏っているんですよね。

松尾:本当にそう思います。自分が取材される立場になってみてわかりましたが、新曲を出した時に質問される内容は歌詞が大半なんですね。もちろんありがたく思いますが、取材者としての自分はそうではなかったので、少なからず驚きました。とくに活字メディアの取材は歌詞の解釈に終始することも多くて。今日は新譜プロモーションが目的でもないし、そもそも栗原さんだったらそういう取材にはならないだろうと信じてこの場に臨んだので、インタビューを本当に楽しんでいます。

――ありがとうございます(笑)。

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