『中居正広という生き方』著者・太田省一氏インタビュー
SMAP・中居正広はなぜテレビ界で「前例のないアイドル」となったか? 話題の研究本著者が解説
SMAPの中居正広をダンス、演技、笑い、結婚等多方面から考察した書籍『中居正広という生き方』(太田省一著、青弓社)が7月29日に刊行され話題を呼んでいる。同書は中居正広という人物を通して見るテレビ論、アイドル論ともいえるものだ。
今回、著者の太田氏にインタビューを実施。同書執筆の動機、ジャニーズや「アイドル」が社会とどのような関係を積み重ねてきたのか、そしてSMAPが築いたアイドル像の未来まで、長年テレビというメディアを考察し続けてきた社会学者の視線に迫った。
「『笑い』がかっこいいという価値観が、1980年代に培われた」
――太田さんが中居正広、あるいはSMAPに注目したきっかけは何だったのでしょう?
太田:昔から見ている人間にとっては、「アイドルが続く」ということが驚きだったんですね。アイドルの旬っていうのは何年かの間で、そのあとは下火になっていく、もしくはアイドルが「大人」への脱皮をはかるというのがパターンでした。その傾向が少なくとも1970年代にはあったし、1980年代にも松田聖子のように一生アイドルやりますという人はいたけれど、彼女はかなりアクロバティックにスキャンダルともうまく付き合っていくようなスタイルですよね。アイドルを普通に続けられるというのは、僕みたいな世代の人間からするとありえないことのように思っていたわけです。その中で、「アイドルが続く」状況を切り拓いたのはSMAPかなと。SMAPが続いている、これは素朴なことだけどすごいことです。
――そのSMAPの中でも、中居正広という人に関心が向かう点を教えて下さい。
太田:僕の関心のもうひとつは、テレビに対するものですね。バラエティ番組やテレビのMCという分野で、アイドルがそれまでやらなかったような役割を担ってきたのが中居くんです。「アイドルが続く」ということと、MCとして第一線でやるということ。この二つが僕の中でつながったんだろうと思います。
――「アイドルが続く」状況をめぐって、ご著書『中居正広という生き方』では歌番組の衰退という現象にクローズアップしています。歌番組が衰退する以前、テレビの中でのアイドルの役割はどのようなものだったのでしょう?
太田:『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)、『ザ・ベストテン』(TBS系)、『歌のトップテン』(日本テレビ系)というように、歌番組が各局のゴールデンタイムに目玉としてあったので、新曲を発表してプロモーションしてヒットするという、世の中と歌番組との密接な関係があったわけです。アイドルはそこで歌って踊る。『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)だけは例外的に残ったにせよ、1990年代にそういう環境がなくなったことでアイドルの寄って立つ基盤がなくなった。
――現在では、歌番組がなくてもバラエティに活路を見出すアイドルはいるように思いますが、当時はやはり歌番組が衰退することはアイドルにとってネガティブな環境だったのでしょうか?
太田:たとえば森口博子、山瀬まみ、井森美幸なども歌手としてデビューしたあと、歌番組がなくなる中でバラエティ番組で活躍して、いわゆるバラドルになっていくわけですよね。僕個人としてはそういう状況も楽しんでいましたが、アイドルは歌って踊ってなんぼだったという前提でみればネガティブな状況だし、世間はわりとそう見ていたでしょうね。
――『中居正広という生き方』の中では、歌番組があった時代の光GENJIが「王子様」であったのに対し、バラエティに活路を見出すSMAPは「フツーの男の子」という対照が考察されています。
太田:今でも中居くんは、光GENJIは凄かったということを繰り返し発言しています。本人たちは光GENJIのバックで踊って彼らを目の当たりにしていただけに、忸怩たる思いや不安は大きかったのではないでしょうか。だからこそ中居くんがリーダーシップをとって、アイドルとしてどうしたらいいのか、戦略を練っていくきっかけになったのだと思います。
――そんな中で、1996年に『SMAP×SMAP』の放送が始まります。同年には他にもKinKi Kidsの『LOVE LOVEあいしてる』が放送開始、ジャニーズのメンバーがテレビの中で「笑い」を先導していく契機のようにも思えます。
太田:かつてのクレージーキャッツやドリフターズのように、ミュージシャンでありながら「笑い」もできて、それによってテレビで一世を風靡するというモデルはあったのかなと。1980年代であればとんねるずがいて、お笑いの人がアイドルであり歌を歌ってヒットを飛ばすようなかたちがありました。「笑い」がかっこいいという価値観が、1980年代に培われた流れもある気がしますね。
――男性アイドルの系譜にとんねるずが当たり前に登場するのは、太田さんの議論の独特なところですね。
太田:1970年代にさかのぼれば、新御三家(郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎)は『カックラキン大放送』(日本テレビ系)で研ナオコや坂上二郎と絡んで本格的なコントをやってたわけです。あの番組が長寿番組だったということは、見ている側にもそういうものを受け入れる素地は培われていたのではないかと思います。アイドルファンだけに向けたものとしても『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)があった。「面白い」こともできるというかっこよさが少しずつ当たり前になっていったところに、1980年代にとんねるずがでてきて、「お笑い」の人たちが逆に「アイドル」をやったわけです。両者が交わるような状況が生まれて、どっちもやる人たちが生まれてきた。それが本格的に見えるかたちになったのは、私個人の感覚だととんねるずですね。
――そのとんねるずの石橋貴明と、1996年放送開始の『うたばん』(TBS系)で共演するのが中居正広です。
太田:今言った史観からすると、交わるべくして交わったという気がしますよね。中居くんのMCもアイドルファンのみに向けた番組ではなく、誰が見ても面白いというレベルにきた。その意味では『うたばん』は象徴かもしれないですね。
――それでも、とんねるずなど「笑い」のスペシャリストである彼らは、アイドル的なポジションから身を引いて、テレビの中で本来のフィールドに戻ることができます。アイドルの場合、そうした後ろ盾を持ちません。しかし、それでもSMAPは巨大なポップアイコンになりえた。その強さは何なのでしょう。
太田:それはアイドルと社会について考える時のポイントになる話だと思います。SMAPが出てきた時の日本社会は昭和が終わり、高度成長期からバブルという時期も終わり、冷戦構造も終わっていく。日本の繁栄や総中流意識を支えてきた構図が、一気になくなっていくわけですよね。それ以後、日本社会ってやっぱり迷ってるんだと思うんです。これからどうなるのか、何を目標にやっていけばいいのか、いまだに誰も答えを教えてはくれない。
――安定した価値観やよりどころが見えづらくなっていくわけですね。
太田:コミュニティ、共同体もなくなっていくなかで、よりどころがほしいという気持ちは強くなる気がするんですよね。そんな時に集団で、みんなで生きていくあり方を見せてくれる人たちというのは、今の日本人にとってありがたいのではないか。SMAP本人たちはそういうことは一切考えてないと思いますが、ある種の疑似コミュニティを投影できる存在としてSMAPがいるという気がしますね。