HaKU辻村有記が明かす音楽人生のターニングポイント「人間ってこういう風に変わっていけるんだ」

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 中性的で透明感あふれる辻村有記のボーカルと、人力のみで多角的な音を構築するオルタナティブ・ギターダンスロックバンド・HaKU。彼らの2ndアルバム『シンバイオシス』は、これまでの作品とは変わり、外に向かった作品。辻村の「どうしたら言葉が人の心に素直に入るのか」「どういう音作りをしたら自分の特徴的な声が人の気持ちの奥底に入るのか」という今作に向けた真摯な思いを聞くことができた。

「昔の自分は、音楽が救いだった」

――HaKUのニューアルバム『シンバイオシス』を聴くと、ツインリードギターとか所々でヘヴィメタルの要素を感じますが、辻村さんの音楽的なルーツを聞かせてください。

辻村有記(以下:辻村):メタルに関しては、中3のときにスレイヤー、パンテラとかからのめり込んだんです。リアルタイムの世代ではないんですが、近くにメタル好きがいて自然と染まったんです。元々はB'zが好きで、松本さんから速弾きギタリストのカッコよさに惹かれました。ダイムバック・ダレル、ケリー・キングとかのギタリストを知ったことで、メタルに入っていって、どんどんデスメタル、ブラックメタルとか聴いていきましたね。

――ザ・ルーツとかのヒップホップも好きだったとか?

辻村:メタルに疲れたらR&Bを聴いてたんです(笑)。ベイビーフェイス、ブライアン・マックナイト、ディアンジェロとか。生音のヒップホップ、ザ・ルーツが好きで、そこからファンクに行ったり、ニューオリンズ系のギャラクティックを聴いたりしました。

――楽曲からはポストロック的な感覚も感じますね。

辻村:そこはスクリーモとか、メタルの方から入ったんです。洋楽はいろいろ聴いてました。音楽が救いでもあったので。

――音楽が救いだったというのは?

辻村:昔の自分は、自分で妄想するのが好きで、外とシャットダウンするひとつのアイテムでもあったんです。今は大人になったので大丈夫ですが(笑)。メタルに関しては、いなたくてカッコいい感じが好きだったんですよね。ギターが上手い友だちがいて、スレイヤーとかアイアン・メイデンとか見よう見まねでマネしてたんです。で、兵庫から18歳で音楽の専門学校に入るために大阪に出たんです。

――バンドを組もうと思ったんですか?

辻村:いえ、照明の勉強をしたかったんですよ。B'zの京セラドームを見に行くのが恒例になっていて、毎回照明がすごかったんです。華やかなものを作るのに憧れたんですよ。でも照明の仕事って、どんなバンドでもカッコいい色を付けなきゃいけない。それを僕は一生の仕事にできないなって、早い段階で違うって気づいたんです。

――そこから音楽をやる方向に向かったきっかけは?

辻村:ギター専攻にいた(藤木)寛茂と知り合って、学校のスタジオでセッションしてたんです。ソロを弾き合ってるのが楽しかったんですけど、もの足りなさが出てきて、ドラムとベースを入れようってこの4人が集まったんです。それがバンドのスタートですね。

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