2025年春アニメ最大の話題作『前橋ウィッチーズ』 なぜ“魔女見習い”をやめようとしたのか

前橋ウィッチーズはなぜ魔女をやめたのか?

前橋ウィッチーズはなぜ「魔女見習い」をやめようとしたのか?

メジルシ / 前橋ウィッチーズ | TVアニメ『前橋ウィッチーズ』第10話挿入歌

 それでは『前橋ウィッチーズ』において本来魔法は必要でないモチーフだっただろうか。本質的な意味では役に立たない「魔法」は、何の意味も持っていなかっただろうか。筆者にはそうは思われない。本作はむしろ、「魔法」という存在を通してはじめて照らし出される「日常」の豊かさを描いたのだ。

 「魔法」の代わりに彼女たちが選び取ろうとしたのは、まさに「日常」と呼ぶべき日々の積み重ねだった。福祉や対話といった「社会」的な営みは、一見すればいわゆる「日常系」作品が描く(モラトリアムとしての)日常とは相容れないものであるようにも映る。しかしそれは、それらが非日常的要素であることも、「日常系」作品が劣っていることも示さない。そうではなく、モラトリアム的な「日常」の中にも「社会」的な救済手段が潜んでいるという事実が、魔法によって再発見されたのではないか。満たされなさや苦しみをいっとき和らげることは、魔法であれその他の娯楽であれ可能なことだ。それでも満たされない深層にある願いを叶える道筋は、少なくとも本作では「魔法」というフィルターを一度通してから見つめる「日常」において見出された。そういう意味で本作において「魔法」は不可欠なものだったのではないか。

 そう考えてみると、最終的に彼女たちが自身の選び取った結末を受けつつ、「魔女見習い」であることも手放さなかったことも理解できるように思う。「日常」へ立ち返ることは、決して「魔法」そのものを排除する理由になりはしない。魔法が改めて日常を捉え返すために不可欠であったように、魔法の存在もまた本作で紡がれた日常の一要素であり、そのことによって「魔法」が排除されたり超越的な位置に据えられたりする特権的なものではなく、「あってもなくてもよい」という程度の立場に置こうとしているようにも思えるのだ。そしてそれは、少なくともフィクショナルな要素がちりばめられた世界、とりわけ「魔法」という多くの物理原則を超越してしまうような舞台装置が提示されるジャンルにおいて、新しいものであるように見える。「魔法」と対置するかたちで日常を肯定するのではなく、「魔法」を通して改めて、魔法自体を含めたより卑近なものとして日常の豊かさに目を向けること。筆者はそこに、本作の挑戦的な姿勢を感じ取りたい。

■配信情報
『前橋ウィッチーズ』
各配信プラットフォームにて配信中
キャスト:春日さくら(赤城ユイナ役)、咲川ひなの(新里アズ役)、本村玲奈(北原キョウカ役)、三波春香(三俣チョコ役)、百瀬帆南(上泉マイ役)、杉田智和(ケロッペ役)
原作・制作:サンライズ
監督:山元隼一
シリーズ構成、脚本:吉田恵里香
キャラクターデザイン原案:ユウ イナミ
キャラクターデザイン:立花希望
美術監督:阿久澤奈緒子
色彩設計:忽那亜実
撮影監督:藤田賢治
音響監督:長崎行男
音楽:羽深由理
音楽制作:バンダイナムコミュージックライブ
アニメーション制作:SUNRISE Studios(サンライズスタジオ)
製作:バンダイナムコフィルムワークス
©PROJECT MBW
公式サイト:https://maebashi-witches.com
公式 YouTube(再生リスト):https://www.youtube.com/playlist?list=PLKPsuBIKuejMlN9-fqvfp2Pi9mtDhbaDZ
公式 X(旧 Twitter):@maebashiwitches(https://x.com/maebashiwitches)
公式 TikTok:@maebashi_witches(https://www.tiktok.com/@maebashi_witches)

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる