『国宝』は俳優の深淵を見つめ続ける 観客も共有する吉沢亮×横浜流星が見た“景色”

映画『国宝』は、喜久雄(吉沢亮)が、任侠一門の組長である父・立花権五郎(永瀬正敏)を抗争で失うところから始まる。「喜久雄、よう見とけ。しっかりその目で見とけ」と言って、雪景色の中、撃たれ死んでいく父の「死に様」。それを見ている少年・喜久雄(黒川想矢)の、少し前に「関の扉」の墨染を演じていた時の化粧がまだ完全に落ちきっていないかのような赤い唇と、どこか冷静な眼差しが鮮烈で、すべてはここから始まったのだと思った。
己の死に様を通して、自分がどう生きたかを見せようとした父の姿を目の当たりにした少年が、その後長い年月をかけて見続けた/見せ続けた「景色」は、舞台の上に凝縮された、「芸の道」に魅せられた人々の死に様であり、生き様だった。吉沢亮、横浜流星、渡辺謙、田中泯ら、優れた俳優たちが演じる「俳優たちの業」を巡る物語は、凄まじい熱量を伴って、観客を圧倒する。

原作は映像化作品の多い作家・吉田修一の同名小説(朝日文庫、上下巻)であり、『悪人』『怒り』に次ぐ3度目のタッグを組む李相日が監督を務め、『最愛』(TBS系)、『下剋上球児』(TBS系)などの奥寺佐渡子が脚本を手掛ける。2017年より朝日新聞で連載された小説『国宝』は、上下巻に及ぶ超大作だ。任侠の一門に生まれた喜久雄が、父の死後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、半二郎の息子・俊介(越山敬達/横浜流星)と切磋琢磨しながら成長し、評判の女形となり、不遇の日々を乗り越え、やがて唯一無二の存在になっていく姿を数十年に渡って描く。
本作の何が興味深いかというと、幾重にも重なる多層構造で、「俳優の物語」を突き詰めて描いているということだ。その根底には、私たち観客の欲望があるのではないだろうか。
映画を観る動機は様々だ。李相日監督の新作だから。あるいは歌舞伎、原作小説への興味ゆえ。そして、なにより「俳優を観たい」という欲。ともに大河ドラマの主演俳優である吉沢亮、あるいは横浜流星が演じきる「俳優の人生をスクリーンで観てみたい」という思いで映画館に向かった人が多いのではないか。

その欲望に応えるように2人の俳優は、まさにうってつけの役柄を演じている。ルックスの良さだけでなく、卓越した演技力を持つ吉沢は、持ち前の美貌だけでなく努力を重ね「刀や鉄砲より強いほんまもんの芸の力」を身に着けようとする喜久雄を。『流浪の月』では意外性のある屈折した役柄を演じ観客を驚かせ、現在放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』では打って変わって爽やかな時代の寵児を演じている横浜は、名門一家の御曹司としての明るさと、喜久雄の才能に嫉妬するゆえの屈託を併せ持つ俊介を演じる。喜久雄と俊介は一時若手女形コンビとして名を成すが、基本的には対の存在であり、太陽と月のように、一方が日の目を見れば、他方が沈みという繰り返しである。本作は、2人で1つの弧を描くように、それぞれの人生の隆盛を描き続ける。