『光る君へ』は脚本・大石静による“源氏物語”に いよいよ吉高由里子が“紫式部”へ
NHK大河ドラマ『光る君へ』、第29回のタイトルは「母として」である。そう、父・為時(岸谷五朗)の同僚であり友人でもある・藤原宣孝(佐々木蔵之介)と夫婦となった本作の主人公・まひろ(吉高由里子)は、ほどなくして子を宿し、愛娘・賢子を無事出産することによって、ついに「母」となったのだ。かくして、まひろのライフステージは、新たな局面を迎えることになる。まさしく「母として」、さらには年下の主に仕える「女房」として、今後まひろは、さまざまな体験をしていくのだろう。そこで改めて、これまでの『光る君へ』が描き出してきたまひろの足跡ーーある意味「娘時代」と言ってもいいだろうーーを振り返っておくことにしよう。
父・為時の教育のもと、幼き頃から漢詩に親しむなど、才媛ぶりを発揮していたまひろは、あるとき三郎という少年と出会い、互いの素性を隠しながら親しく言葉を交わすようになる。しかしその後、まひろの母・ちやは(国仲涼子)が、目の前で斬り殺されるという凶事に見舞われる。衝動的に母を殺めた男は、果たして何者なのか。成長したまひろは、同じく成長した三郎と再会を果たすが、ほどなくして彼が、朝廷で権勢を振るう右大臣・兼家(段田安則)の息子「道長(柄本佑)」であり、母を殺めた道兼(玉置怜央)の弟であることが発覚する。二重三重の意味で「あり得ない」相手であることを互いに承知しつつも惹かれ合うふたり。
まひろの前に現れたのは、道長だけではなかった。散楽一座の謎めいた男・直秀(毎熊克哉)もまた、そのひとりだった。全国を旅して回っているという彼の話に、好奇心旺盛なまひろは興味津々。いずれは都を離れるという直秀の「一緒に行くか?」という言葉に「行っちゃおうかなあ」と冗談とも本気ともつかない言葉で返すような関係を育んでゆく。しかし、そんな直秀に悲劇が訪れる。その亡骸を共に土に埋めながら、人知れず、もはや分かちがたい「絆」を深めてゆくまひろと道長だが、「一緒に都を出よう。海の見える遠くの国へ行こう」と言う道長に対して、まひろはこう応えるのだった。「道長さまのするべきことは、直秀のような恵まれない人々を政治の力で救うことです」と。
かくして、道長はいよいよ朝廷の中枢へ。そして、まひろは父の赴任に伴い越前へと旅立ってゆく。秘めたる「思い」を胸に残しつつも、ふたりは別々の道を歩み始めたのだ。そんなまひろの前に、またしても謎めいた男が登場する。宋から越前に渡ってきた薬師・周明(松下洸平)だ。異国に対して興味津々なまひろは、周明と急接近。宋の言葉を習うなど、次第にその距離を縮めていく。しかし、実は宋の人間ではなく、幼くして宋に渡った日本人であることが明らかとなった周明には、悲しい過去があり……しかも、まひろに対して、ある「思惑」を胸に秘めているのだった。「一緒に宋の国に行こう」――唐突にまひろを誘う周明。そう、視聴者から思わず「国際ロマンス詐欺!」の声が上がった一連のくだりだ。その言葉を、毅然とはねのけるまひろ。しかし、彼は根っからの悪人ではなかったのではないか……こうしてまひろにとって、またひとり「忘れえぬ人」ができたのだ。その後、都に戻ってきたまひろは、道長への思いはそのままに、宣孝の求婚を受け入れ、夫婦となるのだった。
ここで改めて指摘しておきたいのは、本作の脚本家・大石静の堂々たる「手さばき」である。平凡な女子が、ふとしたことをきっかけに高貴な男子の関心を買い、やがて互いに惹かれ合うようになる。しかも、相手は親の仇の親族である。まさしく「禁断の恋」。あるいは、第一印象は決して良いものではなかった謎めいた不良男子と、互いに言葉を交わしていくうちに、彼の内面のやさしさに気づいてゆき……しかし、その彼は、ある日突然バイク事故ーーではなく、まったく不条理な形で、その命を絶たれてしまうのだ。さらには、エキゾチックなイケメンが、異国の言葉を手取り足取り教えてくれつつも、実は詐欺師であることが発覚。けれども彼は、心のどこかで本気で彼女に惹かれていたのではないか? いやはやすべて、どこかで読んだことのある「少女漫画」のようではないか。まさしく少女漫画の「王道」を地で行くような物語である。しかも、これらの話はすべて史実に基づかない創作であるというのだから、まったく恐れ入る。「紫式部」を主人公とした大河ドラマが、まさかこんな展開になるなんて、思いもしなかった。
無論、『光る君へ』が描き出す物語は、まひろと「男たち」の話だけではない。史実に則った形で、朝廷では貴族たちのさまざまな権力争いがあり、天皇や后をめぐる権謀術数があり、疫病という思わぬ形で、権力者が次々と倒れていった。きっちりと時代考証がなされた上での美術や衣装のこだわりも、実に見事なものである。けれども、ここで考えて欲しいのは、この物語のいちばんのテーマが、どこにあるかということだ。それは、平安時代の王朝絵巻を、忠実に再現することではなかった。『源氏物語』の内容を、再現フィルムのように実写でわかりやすく紹介することでもない。恐らく、そのいちばんのテーマはーー『源氏物語』という、後世に残るどころか今も熱心に読み継がれ、いわゆる「物語」の古典として、海外でも広く読まれている傑作が、どのようにして生まれたのか、ということではなかったか。