『デデデデ』“終末作品”を目指した劇場版の良さ 原作と比較するとビターな結末に

映画『デデデデ』を原作と比較考察

 浅野いにお原作の映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(以下、『デデデデ』)は、地球滅亡の物語だ。3月22日に公開された前章では、空に大きな母艦が浮かんだ東京で暮らす小山門出と中川凰蘭(通称・おんたん)の日常が主に描かれた。高校の先生である渡良瀬に恋心を抱く門出や、友達との女子高生らしいなにげないやり取り。そんな彼女たちの頭上を塞ぐように母艦が浮かんでいるという構図が印象的で、いつ日常が一変してもおかしくないと思わせる不穏さを醸し出していた。

 だが、門出とおんたんのずっと続いてほしいと願ってしまうようなゆるい日常が、観客にも“平和ボケ”をもたらしていたのだと『デデデデ』後章を観て気づく。5月24日に公開された後章の冒頭では、小学生以下の子どもが視聴する際には保護者の助言・指導が必要であるレイティング「PG12」の注意が流れる。侵略者が無惨に殺されたり空から降り注ぐ粒子に触れた人間が即死したり、あまりにも鮮烈なショッキングなシーンが続く。「そういえば世界が終わる物語なんだ」と改めて思い出し、観客の間に緊張が走るようだ。もし朝イチの上映回でぼんやり鑑賞したら、きっと目が覚めるような気分になるだろう。

 映画『デデデデ』後章は、原作と違う劇場版オリジナルエンディングで幕を閉じる。以下、映画と原作の内容と結末のネタバレを含むため、ご注意いただきたい。

 後章では、おんたんが違う時間軸からタイムリープしてきたという事実が明かされる。自殺してしまった門出を救うために、もう一度やり直そうとしていたのだ。しかし、おんたんがタイムリープした影響で世界が変わり、本来なら来ないはずだった母艦と侵略者が地球にやって来てしまう。『デデデデ』はおんたんが門出を救おうとしたのがきっかけで、世界が滅亡する物語なのだ。

 こういった主人公と相手の関係や行動が世界の命運を左右する作品は「セカイ系」に分類され、『新世紀エヴァンゲリオン』『魔法少女まどか☆マギカ』『涼宮ハルヒの憂鬱』などが代表的なアニメとして挙げられる。『デデデデ』は『ドラえもん』のパロディを含んだ作品だが、「セカイ系」やタイムリープといった要素が他の有名なアニメ作品と重なるのも面白い特徴だ。

 映画では東京にいる人たちは死んでしまったものの、門出やおんたん、大葉は生き残っている描写がラストに映し出される。では原作はどんな結末かというと、そこからさらに展開し、今度は門出の父が世界が滅亡しない時間軸へタイムリープするのだ。その平和な世界では門出やおんたんだけではなく、元の時間軸で死んでしまうキャラクターたちも生きている。途中でたくさんの人たちが死んでも、最終的に救いのある結末で終わるのが原作なのだ。

 映画で軸となるのは、門出とおんたんだ。おんたんがタイムリープした結果、世界を滅亡へ導く結末になる。しかし、原作では門出の父がもうひとつの軸となり、新しい時間軸で平和な世界を見せてくれる。同じタイムリープでも、おんたんと門出の父では正反対といえる大きな違いがある。では、なぜ映画では門出の父がタイムリープするラストを描かなかったのだろうか。

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