『デデデデ』のカオスな世界観になぜ共感できるのか 尊くまぶしい非日常の中の日常
空に浮かぶ、とてつもなく巨大な母艦。それは3年も経てば彼女たちにとって当たり前の光景になっていた。だが、観客である私たちからすれば異常事態に違いなく、違和感でしかない。東京の街で人々が暮らしている傍らで、侵略者が倒され小型船が撃墜される。日常と非日常が入り混じったカオスな世界観をつくり上げているのが、3月22日に前章が公開された『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(以下、『デデデデ』)だ。
『デデデデ』は、浅野いにお原作のコミックをアニメーション映画化したディストピア日常青春作品。主人公である2人の女子高生・小山門出と中川凰蘭(通称・おんたん)の青春と、突如現れた母艦と侵略者によって地球がゆっくりと滅亡へ向かっていく様子を描いている。本作の大きな魅力は、『ソラニン』や『おやすみプンプン』を生み出してきた浅野いにおによる独特な世界観だ。
8月31日、突如として東京の上空に母艦が現れた。出現したときに起きた地震や小型円盤の影響で、たくさんの死傷者と行方不明者が出てしまう。母艦と侵略者によって地球は滅亡……とはならず、そこから3年の年月が経った。依然として空にたたずみ日常に溶け込んだ母艦と、学校に通い友達とわいわい恋バナに花を咲かせる門出とおんたん。そんな奇妙な『デデデデ』の世界にぐっと引き込まれる。
今にも母艦が大規模な侵略を始めてもおかしくない状況だが、門出とおんたんだけでなく、人々は母艦が現れる前とほとんど変わらない生活を送っている。門出たちの友達であるキホは小比類巻という同じ高校の男子に告白し、門出は想いを寄せている担任の渡良瀬先生に頬を赤らめる。どこにでもいるような恋愛に夢中になる女子高生の日常が描写されるのだ。クスッと笑ってしまうおんたんたちのやり取りは平和そのもので、ずっと続いてほしいと思わず願ってしまう。
しかし、いつ一変してもおかしくない地球の危機的状況を象徴するかのように、不気味な存在感を放つ母艦が随所で映し出されていく。まるで「忘れるなよ」とでも言いたげな母艦のカットの数々が、ただの日常が危険と隣り合わせである現実を物語っているかのように。都内で起きた侵略者との戦闘を知らせるニュースやデモ活動の様子も、ほんのすこしのきっかけで崩れてしまいそうな危ういバランスを感じさせる。観客は、母艦が放つ不穏さにそわそわと落ち着かない気分になりながら、門出とおんたんの日常を見守るのだ。
地球の危機が迫っているというのに門出とおんたんが楽しいスクールライフを送っているのは、“平和ボケ”なのだろうか。たしかにそうかもしれないが、“なすすべがない”というのが本当のところなのだと思う。おんたんの兄であるひろしが「もしなにかが起きたとき、俺たち凡人は受け入れるしかないんだ」と語るシーンがある。地球が侵略されようと戦争が起きようと一般人にはどうしようもないという無力感が、変わらない生活を送る理由なのだろう。
また、放課後の教室で門出が渡良瀬先生と『イソベやん』という未来からやって来たきのこ人の漫画の話をしているとき、「そんな、都合のいい未来なんかあるわけないですよね……」と言いながらちらりと窓の外を見る。空に浮かんでいるのは母艦。侵略者の襲来によって、漠然とした先の見えなさを門出が感じているのが分かる。こういった『デデデデ』の何気ない日常シーンには、キャラクターたちが抱いている無力感がうっすらと滲んでいる。
侵略者の襲来という嘘みたいな現実に、ただの女子高生である門出はゲームのモニター越しのような現実感のうすさと、なすすべのなさを感じている。侵略者が現れてから現在に至るまでの3年間、地球は滅びずなんとかなっているという気の緩みもあるのだろう。そして、人というのは遠くで起こっている戦争より、学校のテストや職場の人間関係といった身近な問題の方が重大に感じるもの。門出が渡良瀬先生にアタックして「えらいこっちゃ」と慌てるように、やれることがないという無力さから変わらない日常を送り続ける門出に観客は共感できるのだ。