【追悼・鳥山明さん】日本のカルチャーを世界的人気に導いた『ドラゴンボール』の功績
漫画家の鳥山明さんが3月1日に亡くなった。68歳だった。あまりにも急な訃報に、世界中の誰もが驚き慌てつつ、じわじわと浮かんでくる悲しみに浸っているところだろう。『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』等々、圧倒的な画力で生み出されるキャラクターたちと、想像力が隅々まで行き届いた物語世界がこれから後、新たに生み出されることはないことが、どれだけの大きな損失かを、世界はこれから噛みしめていく。
1980年に鳥山さんが『Dr.スランプ』で『週刊少年ジャンプ』誌上に登場した時、とてつもない漫画家が現れたと誰もが思った。劇画ブームを経て熱血系の粗いタッチが少年漫画の特徴だと思われていた中にあって、整っていて愛らしくスマートな描線を持ったキャラクターがまず目を引いた。なおかつ繰り広げられるストーリーがとてつもなく面白く、次へ次へとページをめくらされて、そのまま次週の掲載を待ち遠しく思わせた。
この『Dr.スランプ』が1981年に『Dr.スランプ アラレちゃん』としてTVアニメになった時、まるで漫画の世界がそのまま動き出したような感覚にとらわれた。止まっている絵をコマでつないで動きを表現する漫画と、そうしたコマ割りがない中でキャラクターを何枚もの絵を重ねて動かすアニメとでは、どこかにイメージの齟齬が生まれるのが普通だ。
『Dr.スランプ アラレちゃん』にはそうした違和感が少なかった。アラレちゃんが突っ走っても、則巻千兵衛が慌てふためいても、ガッちゃんがふわふわと飛んでもそれは鳥山さんの漫画が動いているように感じられた。もちろん、漫画には動きそのものは描かれていない。コマ割りで繋いでいるだけだが、止まっている時も動きを表現している時も、そうした“行間”をしっかりと感じさせる絵だったことが、アニメになった時に鳥山明作品だということを、しっかりと意識させてくれた。
アニメーターは大変だっただろう。原画も動画も、それこそ鳥山さん級の絵を何枚も描かなくてはならなかったからだが、そこをどうにか乗り越えていったことで、アニメも鳥山さんのファンに受け入れられた。漫画のキャラクターやストーリーに衝撃を受けた人と同じように、アニメで鳥山明作品を知ってファンになっていく人を獲得した。続く『ドラゴンボール』でも、漫画とアニメの良好な関係は保たれ、漫画の面白さを持ったアニメが全世界へと出ていって、今の世界的な『ドラゴンボール』人気を生み出した。
整ったフォルムを持ち、特徴的な表情やポーズを見せるキャラクターと、それらが活躍する舞台をどこまでも作り出していく展開力が、アニメというメディアに向いていたのかもしれない。その影響は、同じようにキャラクターが独特なフォルムを持ち、次を期待させる展開力も備えた尾田栄一郎の『ONE PIECE』にも及んで、世界的なムーブメントを起こしている。あるいはスピーディーでパワフルなバトル描写の先駆者となり、圧巻のアクション描写を持った岸本斉史の『NARUTO-ナルト-』が、全世界で人気となる道を切り拓いたとも言える。