『のび太の地球交響楽』に込められた音楽への思い “優しい”作品だからこその気になる点も

『のび太の地球交響楽』優しい作品だからこそ

「ものすごく優しい人たちが作ったのだろうな」

 3月1日に公開された『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』を観た感想だった。

 本作は、今井一暁監督がコロナパンデミック中に外出できない子どもがリモートでコンサートをしている様子に感動したのをきっかけに生まれた完全オリジナルストーリーの作品だ。

 テーマは「音楽」。のび太はリコーダーが不得意で音楽がなくなればいいと考えているが、発表会のためにイヤイヤながらも練習していた。そんなとき宇宙人のミッカと出会う。彼女は音楽がエネルギーとなる「ファーレの殿堂」という人工衛星のような巨大建造物で暮らしており、ドラえもんたちをファーレの救世主「ヴィルトゥオーゾ」だと勘違いする。何者かの襲撃によってエネルギー源である音楽を失い活動を停止状態にあるファーレを救ってほしいと頼むミッカ。のび太たちは、ひみつ道具「音楽家ライセンス」の助けを借りながらファーレを救うべく楽器を練習し始める。

 本作のテーマが音楽であることから、物語は音楽の大切さや楽しさを伝えることに終始している。

 音楽が消えた世界では人はイライラして小さな諍いが起こるが、音楽が戻ってくれば安泰だ。音楽には人々をひとつにする力があり、それが大きなエネルギーとなる。個々人の行動思想はバラバラでも、音楽でひとつになれるのだ。

 また日常的に発生する音や自然が繰り出す音も、意識して耳を傾ければメロディーとして成り立つことなど、ちょっとした気づきを与えようともしている。街は音楽に溢れており、知らず知らずのうちに恩恵を受けているのだ、と繰り返し伝えようとしている。

 一方で、その“音楽推し”は、昨今の音楽を取り巻く個人主義への憂いにも感じられた。筆者が学生だった頃、音楽は街にあふれていた。タワーレコードやHMVがいたるところにあり、音楽番組も複数あった。当時はカラオケも流行っていて、老若男女が歌うことを楽しんでいた。音楽は最高の娯楽であり、人々の共通言語でもあったと思う。

 だが、iPodの登場の頃から音楽は個人で楽しむものになっていった気がする。音楽はディスクからデータへと変わり、CDを扱う小規模のショップはあっという間に町から消えていった。騒音の観点から楽器を演奏するなら防音の部屋を用意したり、電子ピアノにヘッドホンをつけたりする必要がある。筆者が子どもだった頃のように住宅街を歩けばどこからともなく練習曲が聞こえ、学校からは吹奏楽部の演奏が響いてくるなんてことも少なくなった。

 CDを持っていてもプレイヤーがなく、親が愛聴していた音楽を子どもが自然に耳にする機会が減少。家庭内でなんとなく発生していた音楽継承の文化も消えつつあるように感じる。

 筆者は音楽が非日常になった気がして寂しい。本作は、音楽にあふれた街を当たり前の風景として描いているが、それは今を反映しているようには思えない。懐かしい昭和や平成の日本なのだ。だから親世代には刺さるだろうし、少なくとも、筆者には強く刺さった。

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