こんな志尊淳を待っていた! 『フェルマーの料理』溢れるカリスマ性で視聴者の心を鷲掴み

『フェルマーの料理』カリスマ性溢れる志尊淳

 自信満々で挑発的、カリスマ性に溢れ、燦々と輝く目と常に何かを企んでいそうな微笑をたたえた口元。金髪に細身の黒いスーツを纏ってサングラスをかけた姿は職業不詳、ただしどこからどう見ても只者でないことだけはわかる。人の本質を瞬時に見抜き、そして一瞬にして魅了する。ただ完全に信頼し切っていいものかまだわからぬ底知れなさもある。こんな志尊淳を待っていた……!

 『フェルマーの料理』(TBS系)第1話で、主人公の“一度死んでしまった”天才数学少年・北田岳(高橋文哉)は、そんな志尊演じる若き料理界のカリスマで、二つ星レストラン「K」のオーナーシェフ・朝倉海によって再び命を吹き込まれる。

 
 岳と海の共通点は“見えてしまうこと”だ。岳は幼少期から数学の正解がわかるのではなく、それが見えていた。同じように、料理は素人ながらも、完成品から逆算して因数分解し、それを正しい順番で四則計算していく岳の手捌きや手順は、彼にとっての数学の向き合い方に似ている。それが誰から教えられるでもなく、当たり前に自然にできてしまうのが“天才”たる所以なのだ。そして、そこに海は、“岳と自分が手を組み誰も到達できない料理の真理に必ずたどり着く未来”を見たのだ。

 しかし、この選ばれし者だけに与えられた“見えて”しまう才能というのは時に残酷だ。自身の夢が叶わないことさえも、瞬時に嫌でも悟ってしまうのだから。

 
 男手一つで自分を育ててくれた父親からの期待も相まって自然と数学者になる夢を抱いた岳は、高校3年生で参加した数学オリンピックで自身の能力の限界が見えてしまう。東大に入学できるだけの頭脳があるのに、それでもなお周囲との圧倒的な差を思い知らされ、“負けた”と打ちのめされるような世界線が存在することにただただ驚いてしまう。これまで見えていたものが、確信できていたものが突然潰えてしまう恐怖と、自分が空っぽになってしまったかのような虚無感に襲われ、初めて“何も見えなく”なっていた岳に、「お前の数学の才能は料理のためにある」と才能の活かしどころを新たに見出し、示してくれたのが海だった。

 海は人心掌握にも非常に長けている。自分が欲しいと思ったものを手に入れるためには、手段を選ばぬ強引さも持ち合わせていそうだ。西門理事長(及川光博)からの容赦ない手の平返しによって退学処分の危機に晒されていた岳に、料理でそのピンチを脱するチャンスを用意するが、これもまた周到だ。岳の退学を免除させ恩を売る以上に、否応なしにも本気で料理に取り組ませる機会を与えることが、真の狙いだった。

 海は岳の中で抑えきれないほど料理への熱意や楽しさに火をつけ、本人の中でも誤魔化しきれないものにし、岳の進路を大きく変えた。これが海が言う“親の呪いを解く”ということでもあったのだろう。学食でまかないとしてメニューにないオリジナルナポリタンを作る岳の才能をすぐさま見出すなり、大胆にもひょいと厨房へ侵入し一気に距離を詰めた、あの衝撃の出会い頭の海を思い起こさせる。海との出会いによって岳を取り巻く世界はガタガタと音を立て動き出す。岳の中で数学オリンピックでの敗北から止まってしまっていた時計の針を進めたのは、“父さんより僕のことを褒めてくれる”初めての人・海だった。

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