『らんまん』が“大切な一作”になった理由 「名前を刻む」ことでたどり着いた祈り

『らんまん』が“大切な一作”になった理由

 NHK連続テレビ小説『らんまん』は、大切なドラマになった。私にとって。私の身近にいる人たちにとって。きっと、多くの視聴者にとって。最終週、寿恵子(浜辺美波)の安否を職場の同僚たちと一緒に気にしながら過ごしていた私は思うのだ。どうして私たちにとって、このドラマは大切な存在になり得たのかと。

「植物とともに歩く中、私は、学者として大きな発見を致しました。それは、あらゆる命には限りがある。植物にも人にも。ほんじゃき、出会えたことが奇跡で、今生きることが愛おしゅうて仕方がない」

 とは、万太郎(神木隆之介)が第128話で言った言葉である。その言葉は、本作そのものを示しているかのようだ。第1週終盤の、母・ヒサ(広末涼子)が亡くなる前に幼少期の万太郎(森優理斗)に投げかけた「春になったらお母ちゃん、あそこにおるきね。また会おうねえ」という言葉が、最終話の寿恵子の「草花にまた会いに行ってね。そしたら、私もそこにいますから。草花と一緒に。私もそこで待ってますから」という言葉と美しく重なり合うように。

 本作は常に出会いと別れとともにあった。時代が、人生が、激しく揺れ動く中で、同じ日々など一つもなく、限りある命と、変わりゆく風景を慈しみながら、日々を重ねていった槙野万太郎・寿恵子夫婦。長田育恵脚本が描いた、2人の日々は、神木隆之介、浜辺美波のこの先語り継がれるだろう名演も相まって、なにより普遍的な物語として、多くの人々のこれまでと、これからの人生に優しく寄り添ったのではないだろうか。植物は日本中のどこにいたとしても身近な存在で、いつだって愛でることができる。植物学者ではなくても、身近にいる、野に咲く花々を愛した人を思いながらドラマを観ていたという人もいるだろう。そんな全ての人々の、大切な人を思う気持ちに寄り添うドラマだった。

 さて、最終週において特に印象的だったのは、「名前を刻む」ことだった。寿恵子の名前は、万太郎によって、「スエコザサ」として完成した図鑑に残る。万太郎もまた、寿恵子の思いを汲んで、理学博士になり「この国の植物学に永遠に名前が刻まれる」。図鑑にはこれまで彼らの人生に関わった様々な人々の名前と、植物の名前が記されていた。そしてなにより特筆すべきは、「まだ2つになる前」に死んでしまった娘・園子のことである。最終話において万太郎が、完成した図鑑の中に彼女の名前を記していることが確認できるだけでなく、第126話では、練馬に購入した土地に建てる新居を構想する寿恵子が、「見渡す限り広いお庭」を作りたいと語る時、まず「園ちゃんの」と呟いた上で「ありとあらゆる草花が咲き誇る植物の園をここに作る」と言う。その後2人は、そこに植える春夏秋冬の花々を羅列するのである。

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