『こっち向いてよ向井くん』は“ハッピーエンド”を描けるか “男と女”の先にあるもの

『向井くん』は“ハッピーエンド”を描けるか

 『こっち向いてよ向井くん』(日本テレビ系)第4話終盤、片やサンダル、片や自分にとっては大きすぎる環田(市原隼人)の靴という、どちらにとっても非日常的なものを履き、手には履けなくなった靴を持って歩く向井くん(赤楚衛二)と洸稀(波瑠)が、偶然出会う姿が忘れられない。

 「こんな日は誰かと話したい」と思っていた2人は、息せき切って今日の出来事を話し始める。第5話冒頭で「10年前に付き合っていた相手なんていわば他人」だけど、私たちは「他人」じゃなくて「友達」であると認識し合った2人。第8話では、うっかりファミレスで一緒に朝ごはんを食べ、気づけば洸稀にとっては不本意なはずの「パフェのバニラアイスゾーン」に入りかけている。この何とも名状しがたい関係の心地よさを、どう表現すればいいのだろう。

 『こっち向いてよ向井くん』はねむようこによる同名コミック(祥伝社)を原作に、『ムチャブリ!わたしが社長になるなんて』(日本テレビ系)の渡邉真子が脚本を手掛けた「恋愛迷子たち」のラブストーリー。しかし「恋愛迷子」など、ドラマの中の彼ら彼女たちを見ていると、現代においては特殊でもなんでもないことのように思う。彼ら彼女たちの思いは、「みんなが同じ考えを持たないという時代」である現代を生きる私たちの共通認識だ。

 本作は、「10年恋人がいない」向井くんと、向井くんを巡る女性たちの物語だ。そこで浮かび上がってくるのは、自分の足でちゃんと生きていきたい女性たちと、固定観念として残り続ける「とうに滅びたはずの普遍の家族像」であるところの従来の「家族観」や「男らしさ」の呪縛に惑わされ、彼女たちを「守り」たくて、空回りする男性たちの構図である。さらに親世代の若い世代への戸惑いと、わからないなりに懸命に向き合おうとする姿もまた、丁寧に描かれている。本作は既成の恋愛観・結婚観に縛られず、自分の人生、思いを何より大切にしながら、どうやって異なる価値観を持つ他人と共に生きられるかを模索する。そこには、これまでの常識が通用しない、自分たちで自由に自分の人生を形作ることができる、捉え方によっては希望に満ちた「今」を生きるためのたくさんのヒントが隠れている。

 ではまず、女性たちの視点で考えてみよう。「自分の足で立ててたのに、結婚したことで弱くなってるみたいで嫌」とは、第4話における麻美(藤原さくら)の言葉だ。同じく第4話において洸稀は、「ちゃんと自分の足で生きてきた人たちが、誰かに依存したりされたりとかそういうことじゃなくて、自分の責任で相手と向き合うこと」を「大人の恋愛」と言った。結婚することによって、男性は「一家の大黒柱」としての役割を与えられ、女性は「守られる」存在になることへの違和感。もしくは「幸せ=結婚」という構図を疑わず、「独身だと可哀そう」と思い込んでいる人々の期待に沿うことに疑問を持つこと。「ただ好きな人と一緒にいたい」という純粋な思いに蔓延る、麻美の言うところの「ノイズ」を無視して、美和子(生田絵梨花)の言うところの「長いものに巻かれる」ことはできない。彼女たちを見ていると、そんな多くの女性たちの声が聞こえてくる。

 しかし一方で男性側からすれば、「言ってくれなきゃわからないよ」という言葉に尽きるだろう。美和子のことを思い、懸命に彼女の「寂しさ」を埋めようとしていた向井くんは、彼女にとって彼はどこまでいっても「元カレ」に過ぎず、「止まり木」でしかないということを知り、愕然とする。

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