『べらぼう』“地獄”の日々を変えた蔦重の本作り “籠の中”で生きる若者たちが持つ大きな力

あの平賀源内(安田顕)に吉原遊郭のガイドブック『吉原細見』の序文を書いてもらうことに成功した蔦重(横浜流星)。店や遊女の情報も最新のものに改められ、利便性も大きく向上した。面白くて、役立つ。そんな新しい『吉原細見』そのものには大きな注目が集まった。だが、肝心の「吉原に人を呼ぶ」という最終目的には繋がらず……。
NHK大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』第3話「千客万来『一目千本』」は、蔦重がさらに吉原を盛り上げるべく奔走を続ける姿が描かれた。

もっと工夫が必要だ。きっと蔦重の頭には、田沼意次(渡辺謙)の言葉がずっと響いていたはずだ。「お前は何かしているのか? 客を呼ぶ工夫を」と。蔦重を突き動かしていたのは、このままでは吉原が廃れてしまうという焦り。変化していく世の中の流れに、どう対応していくのか。それは、現代にも通じる永遠の課題だ。
しかし、この時代だからなのか、それとも吉原という場所柄なのか、蔦重をはじめ多くの若者が不自由な人生を強いられていることに心が痛む。蔦重は吉原細見の巻末に細見改役として名前が掲載されると育ての親である駿河屋(高橋克実)に文字通りボコボコに殴られる。挙句の果てには首根っこを掴んで階段から突き落とそうとする暴挙ぶり。そして勢いあまって駿河屋のほうが階段から転げ落ちると、今度は「出ていけ」と怒号を上げる始末。
蔦重は、引手茶屋の手伝いをサボって細見の編集に勤しんでいたわけではない。引手茶屋の切り盛りは変わらずにやり、貸本事業も続けていた。その上で吉原を盛り上げるべく新たな挑戦に出ているだけだ。その取り組みだって、最終的には吉原にある引手茶屋を発展させることに繋がっていく。なのに、どうしてこれほど駿河屋が怒り心頭しているのか。

きっと駿河屋には見えたのだろう、蔦重がやがて自分の思い通りにならない男になっていくことを。幼い頃に両親に捨てられた蔦重を拾った駿河屋。やると決めたらどんな逆境であろうと突き進む肝の据わった性格。そして次々とアイデアが湧き出てくるビジネスセンス。それは駿河屋の実子・次郎兵衛(中村蒼)よりもずっと期待できる存在になっていた。
だからこそ、他の事業に夢中になってもらっては困るのだ。駿河屋の手に負えない器になってしまっては。蔦重もまた、籠の中で大人の都合よく働くようにと定められた遊女に近い環境に身をおいていたのかもしれない。もちろん、金に困れば簡単に売られていく遊女たちの過酷さとは比較にはならないのだけれど。
しかし、それゆえに蔦重は吉原が活況を取り戻すことに必死になっていたのではないだろうか。現代の感覚でいえば、遊郭という市場そのものに疑問を持つが、あの時代は吉原がなければ生きていけない遊女たちがいたという現実があった。

その理不尽な運命を強いられた若者たちの境遇を一気にひっくり返すことはできないかもしれない。だとしたら、この地獄のような籠の中でおなかいっぱい食べられるように、少しでも笑顔で過ごせるように。蔦重の本作りは、そんな自身と遊女たちの明日を変えるためにどうしても踏み出さなければならない一歩だったのだろう。
その思いは、自らもかつては吉原で遊女として働き、今は行き場のない遊女たちを抱える二文字屋の女将・きく(かたせ梨乃)の協力につながる。ハッタリをかましながら集めた資金で、新たな本を作る蔦重。それは吉原の遊女たちを花に見立てて紹介するというこれまでにないアプローチの本だった。しかもその『一目千本 華すまひ』と題したその本は、吉原で馴染み客にならないと手に入らないという希少価値をつけたのだ。
仕事にありつけない状況にいる最下層の遊女たちとともに1冊1冊製本されていく『一目千本 華すまひ』。やっとの思いで完成した本を掲げて、蔦重はこう語るのだ。