松重豊の“作家性”が光る 『劇映画 孤独のグルメ』がシリーズにもたらした新たな可能性

『劇映画 孤独のグルメ』意外な内容を深掘り

 約13年間に10ものシーズンが制作され、スペシャル番組が多数放送されてきた、テレビ東京の看板ドラマシリーズ『孤独のグルメ』。その初の劇場版が、主人公・井之頭五郎を長年演じてきた松重豊が製作、監督、脚本、主演を務めた、『劇映画 孤独のグルメ』として公開された。

 人気シリーズだけに国内はもちろん、海外での注目度も高い、劇場版としての本作『劇映画 孤独のグルメ』は、果たしてどういう映画作品として完成されたのだろうか。ここでは、原作、ドラマシリーズとの比較も含めて、その意外な内容を深掘りしていきたい。

 ドラマシリーズの原作は、久住昌之、谷口ジロー作画による漫画作品。内容は、無口な中年男性が、飲食店などで一人で食事をしながら、頭のなかで感想を述べる様子を見せていくというものだが、そのコンセプトは、食をハードボイルド風に伝えるというギャップを利用した、一種のギャグの側面も大きかったと考えられる。だが、優れた描写力で丹念に作画をおこなっていた谷口ジローの真摯な仕事が、作品に名状し難い迫力を与え、不思議な余韻を与える内容となったことが印象深い。

 ドラマシリーズ版は、それとはまた異なる印象の作品となった。原作の井之頭五郎は、かなりとっつきづらいオーラを纏った男性なのだが、松重豊の演じるそれは、原作よりユーモラスになり、万人が好感を持ちやすいキャラクターに生まれ変わっていたのである。

 さらに、実在の店舗を撮影に使用したり、映像作品の特性である“時間”の感覚が加わったことにより、井之頭五郎と視聴者との感覚の共有が強まり、五郎が料理と向き合い「最高の癒し」を感じる様子を、より現実感をともなって視聴者が体験できるようになった。配信でシリーズを視聴できるいま、視聴者も食事しながらドラマを見るという楽しみ方が生まれたように思う。視聴者の食べるメニューに合わせてエピソードを選択するのも、おすすめな視聴方法だ。

 例えば、個人的なおすすめエピソード、シーズン3の「目黒区 駒場東大前のマッシュルームガーリックとカキグラタン」などでは、ゆったりとした食事を楽しんで店を出たときに、外がすっかり暗くなっているという描写がある。視聴者もまた擬似的に、すっかり時間が経っていたことを追体験するのである。この時間の共有、視聴者とのシンクロは、ドラマシリーズにおける大きな特徴だといえよう。

 「時間や社会にとらわれず、幸福に空腹を満たすとき、つかの間、彼は自分勝手になり、“自由”になる」というナレーションでの説明は、世俗のさまざまな事柄から離れ、料理と一対一で対峙する五郎の姿勢を、「孤高の行為」だと位置付けている。『孤独のグルメ』は、ある意味で「禅」のような瞑想状態、マインドフルネスの変則的な実践であることを、作り手側もある程度認識しているということだろう。

 とはいえ、ドラマシリーズは瞑想的な時間や飲食店の情報を提供しているだけではない。例えば、シーズン2「群馬県邑楽郡大泉町のブラジル料理」では、ある親子関係の修復に一役買ったり、シーズン4「愛知県知多郡 日間賀島のしらすの天ぷらとたこめし」では、ある人物を追って島を奔走させられるというアドベンチャー的な要素もあった。

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