『ミツバチのささやき』日本で人気の背景とは 宇野維正×森直人がビクトル・エリセを語る

宇野維正×森直人が語り合うビクトル・エリセ

 セレクトされた良質な作品だけを配信するミニシアター系のサブスク【ザ・シネマメンバーズ】では、第76回カンヌ国際映画祭で31年ぶりの新作『Close Your Eyes(原題:Cerrar los ojos)』が上映されるというニュースを受け、ビクトル・エリセ監督の長編代表作『ミツバチのささやき【HDリマスター】』 『エル・スール【HDリマスター】』が6月から急遽配信。そして、7月に洋画専門チャンネル「ザ・シネマ」でも放送となる。今回の配信・放送を機に、映画・音楽ジャーナリストの宇野維正と映画ライターの森直人が、『ミツバチのささやき』と『エル・スール』のすごさや、後世に与えた影響、今年のカンヌ国際映画祭での騒動などについて語り合った。(編集部)

蓮實重彦が規定した「73年の世代」

『ミツバチのささやき』©2005 Video Mercury Films S.A.

ーー今回のお題は、今年のカンヌ国際映画祭に31年ぶりの新作映画『Close Your Eyes(英題)』を出品したことも話題となっているスペインの巨匠、ビクトル・エリセ監督です。

宇野維正(以下、宇野):この対談連載、毎回学生時代にバイトをしていたシネ・ヴィヴァン六本木(1983年開館。1999年閉館)の話をしてる気がするんだけど(笑)、エリセの長編デビュー作である『ミツバチのささやき』(1973年)が初めて日本で公開されたのもシネ・ヴィヴァンだったよね? 確か、シネ・ヴィヴァンがオープンして、かなり初期の頃に。

ーー1985年の2月に、ようやく日本で初公開されたようです。

森直人(以下、森):その頃、僕は和歌山の中学生ですから、まだ遠い世界でしたね(笑)。自分が今回の2本、『ミツバチのささやき』と『エル・スール』(1983年)を初めて映画館で観たのは、1993年になります。今回のラインナップには入ってないけど、エリセの3本目の長編映画『マルメロの陽光』(1992年)が公開されるタイミングに合わせて、フランス映画社が2本同時にリバイバル上映をやったんですよ。僕は当時、大阪在住でしたけど、東京だと日比谷のシャンテシネ(現TOHOシネマズ シャンテ)。『ミツバチのささやき』と『エル・スール』に関しては、そのときに初めて映画館で観たっていう人も、きっと多いんじゃないかな。

宇野:自分は、『ミツバチのささやき』は高校生の頃にレンタルビデオで観たのが初めて。で、シネ・ヴィヴァンでバイトをするようになったのは90年代初頭なんだけど、シネ・ヴィヴァンって劇場オリジナルのパンフレットを作った映画館のハシリで、過去に上映した作品のパンフレットのバックナンバーもずっと販売してたの。自分が働いていた頃は、初上映から6、7年経っていたわけだけど、その頃ですらダントツで売れるのが『ミツバチのささやき』と『エル・スール』のパンフレットだった。

ーーそうなんですね。

宇野:特に『ミツバチのささやき』のパンフレットはずっと売れていた。上映中の作品を観に来た人がついでに買うだけじゃなくて、わざわざ『ミツバチのささやき』のパンフレットを買いにくる人も結構いた。しかも、男性・女性問わず。

森:実際、『ミツバチのささやき』って、ミニシアターブームっていうものを象徴する作品のひとつだったという印象があるんですよ。シネ・ヴィヴァンでめちゃめちゃヒットしたっていう話は、僕も聞いていて。確か、ヴィンチェンゾ・ナタリの『CUBE』(1997年)に抜かれるまで、シネ・ヴィヴァンの歴代興行成績の1位だったっていう。まあ、それを抜いたのがエンタメ色バリバリの『CUBE』だったというあたりに、時代の変わり目を露骨に感じますけど(笑)。

宇野:そうだね。いずれにせよ、90年代ではなく、80年代の中ごろに起こった第一次ミニシアターブームを牽引した作品のひとつ……っていうか、80年代のミニシアターブームっていうとヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』(1987年)の名前が筆頭に上がりがちだけど、その日本公開の3年前、『ミツバチのささやき』の頃にはもうその状況が出来上がってたということだよね。で、それに続いてビクトル・エリセの新作『エル・スール』が公開されたのが、『ミツバチのささやき』と同じ1985年の10月。要は、その時点で『ミツバチのささやき』って12年も前の作品だったんだよね。そう考えると、よくあんなにヒットしたなって。

ーーそれまで、埋もれていたわけですもんね。

宇野:まあ、それだけビクトル・エリセの映画って、あまり時代と関係ないところはあるってことなんだろうね。実際、『ミツバチのささやき』のあとに続けて『エル・スール』を観ても、そんなに違和感がないというか。

『エル・スール』©2005 Video Mercury Films S.A.

ーー実際は、9年もあいだが空いているわけですけど。

宇野:どっちも傑作だけど、技巧に寄ってない分、『ミツバチのささやき』のほうが一般的な観客にとっては観やすいみたいなところはあるかもしれない。よりクラシックな感じがするというか。『エル・スール』は、ちょっと嫌味なぐらいテクニックが冴え渡っていて……もう冒頭の、暗闇の中から朝の光で窓が浮き上がってくるところからすごいじゃん。画面の決まり方が。

森:わかります。非常に洗練された映画ですよね。ただそのぶん、ドラマ的に理解しやすいというか、正直、僕は『エル・スール』のほうに最初惹かれたんですよ。もちろん、いまとなっては「どっちもすごい」というのが、完全に正解だと思います。

ーーそれにしても、なぜ『ミツバチのささやき』は、そこまで日本で支持されたのでしょう?

宇野:まあ、きっかけは間違いなく蓮實重彦さんだよね。というか、これも前に話したかもしれないけど、蓮實さんはオープンからしばらくのあいだ、シネ・ヴィヴァンの作品編成にも深く関わっていて。シネ・ヴィヴァンのこけら落としが、ジャン=リュック・ゴダールの『パッション』(1982年)で、そのあと『カルメンという名の女』(1983年)とか、アンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』(1983年)とか、あとダニエル・シュミットの『ラ・パロマ』(1974年)をやったりしてたんだけど。新作だけじゃなく、ちょっと古い作品で日本初公開となる作品もラインナップに入れていて、観客を育てていくということにすごく意識的だった。それにちゃんとついてくる観客がたくさんいたというのも、80年代の東京ならではだけど。

森:そういえば、蓮實先生が規定された「73年の世代」っていうタームもがありましたよね。遅れてきたヌーヴェルヴァーグ世代で、ジョン・フォードが死去した1973年あたりに登場した新鋭作家たちを指す言葉。『リュミエール』の創刊号(1985年9月)の特集で、ヴェンダース、エリセ、シュミットっていう……。

宇野:なぜかそこにイーストウッドまで入ってるという、今から思えばすごく強引な括り(苦笑)。余談だけど、田中宗一郎さんが雑誌『SNOOZER』で「98年の世代」って特集を作ったことがあったけど、あれの元ネタですね。ただ、特に『ミツバチのささやき』に関しては、そうした蓮實文化圏を超えたところでどんどん広がっていった。

森:そうですよね。いちばんシンプルに観てしまうなら、「精霊もの」というか、並外れて感度の高い少女が世界の向こう側や異形のものたちと交信するところが、お話のポイントになる。ある種の成長譚というか、通過儀礼という枠組みのわかりやすさもありますしね。

宇野:もちろん、エリセ自身は象徴主義の塊だから、お客さんに対する絶大な信頼がなきゃ、こんな映画は作れないわけだけど、仮にそれを読み取れなかったとしても……たとえば、この映画の背景にはスペイン内戦(1936年~1939年)があるわけですけど、そのコンテクストを知らずに観ても普通に少女の成長物語として楽しめることができるという。

ーーちょっと童話的な話でもあるというか。

宇野:そう。宮﨑駿監督が『ミツバチのささやき』に影響されて『となりのトトロ』(1988年)を作ったみたいな話が、まことしやかに語られていることもあったりして……。

森:宮﨑駿の世界と『ミツバチのささやき』って本当に近い。少なくとも宮﨑監督、絶対好きそうですもん。というか、そもそもビクトル・エリセと宮﨑さんって……。

ーーエリセが1940年生まれで、宮﨑駿さんが1941年生まれだから、ほぼ同世代ですね。

森:そう、同世代なんですよね。となると、基礎となる教養的な部分だったり、政治思想的なポジションも近いと言えるでしょう。だから、影響云々はともかく、確実に共振していたと思う。

『ミツバチのささやき』©2005 Video Mercury Films S.A.

宇野:宮﨑さんが『ミツバチのささやき』に影響を受けているとしたら、ヨーロッパの童話的なところはもちろんだけど、きっと、その背景にあるスペイン内戦というモチーフも含めてだよね。

森:それも確実に大きいですよね。極右政権への怒りという部分。スペイン内戦によって成立したフランコ政権は、フランコ自身が死ぬ1975年まで続いたから、『ミツバチのささやき』は、フランコ独裁政権下の末期に作られた作品なんですよね。だから、スペイン内戦を直接的には描かず、すべてが暗喩的な描き方になっている。その頃の宮崎さんは、盟友・高畑勲さんの演出で『パンダコパンダ』(1972年/宮﨑は脚本・原案・原画など)とかを作っていた頃だけど、監督デビューの『未来少年コナン』(1978年)からは“政治青年”的なカラーが噴出し始める。もちろん宮﨑監督が『ミツバチのささやき』をご覧になったのは、早くとも1985年の日本公開のタイミングだとは思うんですけど、戦争や権力に抑圧された同世代の作家という部分も含めて、非常に肩入れするところがあったんじゃないですか。

ーーなるほど。

森:ただ、その一方、政治的な部分を払拭した『ミツバチのささやき』の「トトロ性」みたいなものって、僕は結構ポイントなんじゃないかと思っていて。それこそ、宮﨑さんと同じアニメーションの世界だったら、細田守監督も『ミツバチのささやき』のことが大好きですよね。

宇野:ああ、そうなんだ。

森:細田さんは『ミツバチのささやき』をご自身のオールタイムベスト映画としてよく挙げられていて、もう、熱烈な愛を持って語っている記事を何度も読んだ気がする(笑)。興味深いのは、『ミツバチのささやき』って、アニメーションの人たちのあいだですごく親和性の高い作品だったということですね。あとアニメ作家ではないんだけど、ギレルモ・デル・トロの『パンズ・ラビリンス』(2006年)も『ミツバチのささやき』の強い影響下にある作品でした。これもスペイン内戦をモチーフにした少女のファンタジーですし。

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