『フェイブルマンズ』が示す“芸術の真実” スピルバーグの“奇妙な傑作”を読み解く

奇妙な傑作『フェイブルマンズ』を読み解く

 SF、アクション、サスペンス……エンターテインメント大作から歴史劇、社会派作品まで、多くの観客を魅了し、映画界を牽引してきた、生きる“レジェンド”映画監督スティーヴン・スピルバーグ。その名だたるフィルモグラフィーのなかでも、これまでにない自伝的な内容で、映画づくりそのものを題材にした、スピルバーグ監督にとっての“異色作”となったのが、今回の『フェイブルマンズ』である。

 近年ますます演出の力が冴え渡っているスピルバーグ監督だが、とくに本作は、これまでの充実した作品のなかでも屈指の出来になったばかりか、映画人生の集大成として位置付けたような、感慨深さと不思議な迫力が備わったものとして完成されている。ここでは、そんな奇妙な傑作『フェイブルマンズ』が何を描いていたのかを、できるだけ深い領域まで考えていきたい。

 スティーヴン・スピルバーグが自身の少年時代や学生時代を投影したと思われるのが、本作の主人公サミー・フェイブルマンだ。そして、アメリカに住むユダヤ系の“フェイブルマン”一家のドラマが、この物語の中心となっている。「スピルバーグ」という名前の「スピル」は、ドイツ語の「遊び」や「上演」が元となっているように、「フェイブルマン」の「フェイブル」は「寓話」を指す言葉だ。それは、スピルバーグがそこに、物語を語る役割を持って生まれたという運命を感じていることを示唆しているとともに、本作で表現される、“普通の生活”よりも途方もない夢を追い求めることを選んでしまった家族、一族の精神を象徴させていると考えられる。

 もともとスピルバーグは、自身が初めて観た映画が『地上最大のショウ』(1952年)であり、『リバティ・バランスを射った男』(1962年)に多大な影響を受けたことを、インタビューなどで語っている。そして、後者の監督である、アメリカを代表する巨匠の一人ジョン・フォード監督に、若い頃アドバイスを受けたエピソードを明かしたこともある。本作は、そういったスピルバーグの個人的な映画遍歴を映像化している部分が多い。

 ジョン・フォード監督やセシル・B・デミル監督の作品が、スピルバーグの作家性を形成したものとして、ここで紹介されることに、意外な思いを抱いた観客もいるかもしれない。なぜなら、リベラルな問題意識を作品に反映させてきたスピルバーグと、この二人は政治的に相容れない部分があるからだ。デミルはハリウッドの悪名高い「アカ狩り」に積極的に参加した人物であり、フォードは太平洋戦争の記録映画を自ら撮影するなど、積極的に戦争協力をおこなった映画人なのである。

 だが、この事実は、むしろ本作のテーマを色濃くすることに寄与しているといえるのではないか。本作が暗示しているのは、“表現”には良い意味でも、そして悪い意味でも、人の精神に影響を与え得るという事実であり、そんな仕事に従事する者の“罪”や“呪い”なのだ。そしてデミルのように、同時代の映画人をすすんで弾圧した罪深い人間であっても、映画のなかで感動的な一瞬を表現することができる……そんな芸術の真実が、スピルバーグ自身の内省とともに示されていくのである。

 本作の場面には、出世作の『激突!』(1971年)を想起させるカークラッシュの思い出や、『シンドラーのリスト』(1993年)の冒頭にも登場したユダヤ教の燭台、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)に繋がるボーイスカウトの経験など、スピルバーグの過去作を想起させる要素が映し出される。

 サミーが学生時代に撮影した、バイオレンスな描写たっぷりの戦争映画は、ノルマンディー上陸作戦において次々に頭が撃ち抜かれる兵士たちや、内臓が飛び出して母親を呼ぶ兵士の姿が描かれた『プライベート・ライアン』(1998年)や、冷血的なナチス将校が拳銃でユダヤ人を殺害していく『シンドラーのリスト』のバイオレンス描写に繋がる残酷さの萌芽もある。

 これらの表現は、もちろん戦争の陰惨さを現代に伝える意図があると考えられるが、一方では、そんな暴力を再現することを娯楽に転換するような不謹慎なユーモアを感じるのも確かなのである。つまりここが、スピルバーグ作品を含めた、娯楽映画におけるテーマと描写の矛盾点であり、そんな映画に“取り憑かれる”ようになった、彼の呪われた部分だといえるだろう。

 本作で最も恐ろしいシーンは、いまにも家族が崩壊しようとするまさにその瞬間、カメラを回してみたいというサミーの願望が表れるところである。スピルバーグ監督は、そのような世の悲劇を表現に利用しようとする罪を、映画を撮りながら自分自身で意識していたことが、本作で示されているのだ。映画監督による“映画づくりの映画”は、最近も盛んに撮られているが、ロマンやポジティブな感情、ノスタルジーだけでなく、本質的な負の側面までをも包含し得る視点を獲得していることで、本作は同種のジャンルのなかでも際立った出来となっていると評価できる。

 同時に、学生時代にアナログフィルムに穴を開けることで光の特殊効果を施したり、板の上をカメラの台車で移動させる「ドリー撮影」や、撮影や編集によって印象を左右させる手法を体得したりと、映画製作者としての自身の成長を描きながら、観客をどれだけ驚かせ楽しませることができるかという、彼の作家性のルーツを理解することもできる。

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