『星降る夜に』は“恋愛ドラマ”ではなかった 脚本・大石静が込めた現代社会への祈り

『星降る夜に』は“恋愛ドラマ”ではなかった

 『星降る夜に』(テレビ朝日系)が3月14日に最終回をむかえる。このドラマは一見「ラブストーリー」だ。番組キービジュアルには「人は恋で生まれ変わる。教えてくれたのは、10歳年下のあなたでした」というキャッチコピーが添えられている。ところがそれは表向きの一面で、実はこの作品、令和のいま私たちが目指すべき「社会」を描いた骨太な意欲作だった。

 過去の医療裁判により心を閉ざした35歳の産婦人科医・鈴(吉高由里子)と、音のない世界に住む25歳の遺品整理師・一星(北村匠海)の恋の物語であることは間違いないのだが、回が進むごとに、これは彼らを取り巻く「社会」を描いているのだと気づかされる。寓話的に理想のソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)を描きながら、観ている私たちが住むこの実社会には何が足りていないのか、これから私たちはどう進むべきなのかを、示唆している。

 まず、主人公の一星がろう者であることが特別視されていない。「フィクションの中で障がい者は“聖人”であるべき」といった前時代的な価値観はもちろん存在しない。一星は直情的でおせっかいで、それだけに失敗も多く、恋愛体質でやきもち焼きで、ちょっと口が悪い、AVが好きな25歳の青年だ。「遺品整理のポラリス」の中でも顧客満足度No.1を誇るエースで、自分の仕事に誇りを持っている。

 一星自身の認識としても、周囲の人々の受け入れ方としても、彼の「耳が聞こえない」という身体特性が、ひとつの「個性」として扱われている。町の陽気者・チャーリーこと正憲(駒木根葵汰)のピンクの髪の毛と同じ、45歳の新米産婦人科医・深夜(ディーン・フジオカ)のド天然な性格と同じ、「その人を形づくる一要素」として描かれているのだ。一星と春(千葉雄大)が手話で会話するのを初めて見た鈴は「自分だけ言葉を知らない外国に来たみたい」と、ワクワクした表情を見せる。

 劇中で鈴と深夜が1995年のヒットドラマ『愛していると言ってくれ』(TBS系)を観ていたと懐古するくだりがあるが、「ろう者と“健常者”の、環境の違いによる悲恋」にスポットが当たるドラマがヒットしていたあの頃からすると、隔世の感である。まさしくこれは令和のドラマだ。

 「コミュニケーションの壁」を乗り越えてくる一星は、かつてバックパッカーとして旅をし、世界各地に友達がいる。町中で立ち食いそばの食券販売機の使い方がわからず、とまどっているお年寄りがいれば、助ける。「ポラリス」の同僚であり親友の春は、前の職場で過労うつになり、重度のコミュニケーション障害に陥った。しかし「ポラリス」に転職し、一星と手話で会話することで、素直に心の内を話せるようになり、少しずつ心の健康を取り戻していった。一星がごく当たり前に社会に受け入れられ、そして一星が誰かを助ける。彼の姿を通じ、「互助」を拠り所とする、社会のあるべき姿を描いている。

 鈴を憎からず思っている深夜の存在は、これがいにしえのラブストーリーならば三角関係にもつれこむのが定石だが、そうはならない。出産で愛する妻と子どもを一度に失った絶望の中、深夜の「蜘蛛の糸」となったのが、新米医師時代の鈴の涙だった。その「一瞬の光」をたぐり寄せるように、彼は30代後半で医学部に入学し産婦人科医を志す。深夜が鈴に対して抱く、尊敬と憧れと、恋愛を超越した「ただ相手に幸せであってほしい」という思い。深夜にとって鈴は「希望」の象徴であり「女神(ミューズ)」なのかもしれない。この「名前のつかない感情」を繊細に描いたところも、何でもかんでも色恋に結びつけていた前時代のドラマとは一線を画す。

 鈴の職場であるマロニエ産婦人科医院を受診する女性たちの姿を通じて、出産と子育てについて今日の日本が抱える様々な問題も提起された。産んでも育てられない事情を抱える匿名妊婦(清水くるみ)のエピソードでは、世間の“普通”を基準とした価値観の押し付けではなく、どの選択が母子にとっていちばん幸せなのかを社会全体が考え、サポートすることが必要であると提示した。

 春の妻・うた(若月佑美)は春の元同僚で、一流メーカーでバリバリ働くキャリアウーマン。子どもを授かったものの、前職で負った深い心の傷からやっと立ち直った春を慮るあまり、出産の決断ができずにいた。しかし、心の奥にある気持ちを互いに正直にぶつけ合うことで、夫婦2人、一歩一歩親になっていくことを決めた。この決意に向けて春の背中を押したのも、「伝えなよ、ほんとの気持ち。手話でなら言えるだろ?」と働きかけた一星だった。

 少子化社会における女性たちへ新たな重圧、令和版「産めよ増やせよ」のムードが蔓延する中、誰もがその人らしく生きる権利、「産んでもいいし、産まなくてもいい」という自由があることを、このドラマは静かに伝えていた。

 血のつながった家族の絆も、血のつながらない家族の絆も、両方描かれる。「イェイイェイウォウウォウ」が口癖で、今はハッピーの象徴のようなチャーリーも昔は荒れていて、母の鶴子(猫背椿)に暴力をふるっていた過去がある。鶴子が看護師として勤めるマロニエ産婦人科の院長・麻呂川(光石研)の勧めにより、しばらく鶴子がクリニックに寝泊まりすることで、チャーリーと距離を置いた。この「親子別居」をきっかけに母と息子の関係が修復したという。糸が絡まった家族関係をほぐすための一時避難場所として、こうした「シェルター」があることの重要性を考えさせられる。

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