『星降る夜に』素直に泣くことの難しさを痛感 最終話で深夜の“復讐”の意味は描かれるのか
一星(北村匠海)は、まっすぐに駆け寄って伴(ムロツヨシ)を抱きしめた。それは泣いている赤ちゃんがいたら、本能的に抱き上げずにはいられないように。
私たちは年齢を重ねるにつれて、いろんなことができるようになる。だから、なんでも自分で乗り越えていけるような気がするし、そうあるべきだと周りにも求められているようにも感じる。そして、何より自分自身もそんなスマートな大人でありたいとも思う。
でも、何歳になったって本質は赤ちゃんのころと変わらないのかもしれない。経験したことのない苦しみや哀しみが襲ってきたら、1人ではどうやって生きていけばいいかわからなくなる。不安で、怖くて、心細くて。誰かに抱きしめてもらいたい。そして「大丈夫」と言ってもらいたい。
突然降り掛かった妻の死、手探りの子育て、理不尽な解雇……それだけの困難を、そもそも伴が1人きりで乗り越えるなんて不可能だった。おそらく十分なグリーフケアを受ける間もなかったのだろう。そんな心の穴を埋めるように、伴を奮い立たせたのは鈴(吉高由里子)への恨みだけだった。
だから、鈴がいい人でいられたら困るのだ。鈴を悪い医者だと思い込み、彼女を追放することで誰かの役に立っている……そんなふうに考えないと何のために生き続けているのかわからないから。
でも、鈴を追いかけるほど、彼女が誠実な医者であることを知ってしまう。むしろ、執拗に嫌がらせを繰り返す伴にさえも寄り添う優しい医者なのだ、と。しかし、それを自覚してしまったら、もう自分の生きる意味が見い出せなくなってしまう。
「ゴールがないんです」と言った伴の言葉は、哀しみの本質。「乗り越える」なんて言葉を人は簡単に使いたくなるけれど、愛する人の死に伴う喪失感は一生埋まることなんてない。その哀しみを1人で解決しようとすればするほど、その深い闇に飲み込まれてしまうものだ。
私たちが思っている以上に「泣く」という行為は大切なものなのだろう。涙を流し、声を上げずにはいられないときは、自分だけではどうしようもないことが起きているのだという証。それを1人で乗り越えようとするなんて無理なのだと、自分自身も、そして周囲にも知らせることができる。
例えば、一星の祖母・カネ(五十嵐由美子)が倒れたとき、一星は鈴に抱きついて泣いた。その姿は、“そばにいて支えてほしい”と言葉にせずとも伝わってくるものだった。そして、抱きしめることしかできない鈴としても“自分にできることがあった”と思うことができる。