『エルピス』パンドラの箱を開けたのは我々か? ED映像の“ケーキ”が意味するもの

『エルピス』エンディング映像を考察

 現在放送されている連続ドラマ『エルピスー希望、あるいは災いー』(カンテレ・フジテレビ系)は、テレビ局を舞台に、落ち目の女性アナウンサーである浅川恵那(長澤まさみ)と深夜バラエティ番組の若手ディレクター・岸本拓朗(眞栄田郷敦)が、冤罪疑惑が浮上した連続殺人事件の真相を追い求め奔走する姿が描かれる社会派ドラマ。綿密に練られた影のあるキャラクターたちと色彩をうまく操り物語を際立たせる演出、現実世界の政治批判や物言えぬ弱者へ焦点を当てる脚本も秀逸だが、特に考察の余地があるのはエンディングで流れる映像だ。

エルピスー希望、あるいは災いー

 本作は現在第4話まで放送されており、第3話以外ではエンディング映像が差し込まれた。映像の基本的な流れは毎回同じだが、三浦透子演じる“チェリーさん”こと大山さくらと思われる人物がケーキを食べるという行為が毎回少しずつ異なっている。「ケーキはなんの暗喩なのか?」「食べ方の違いにはどんな意味があるEDのか?」と様々な考察がなされている中、今回は「ケーキはメディアが行う報道そのものを代弁しており、チェリーさんは視聴者自身」と仮定して考察してみたい。

 第1話ではテレビ画面を通して必死に訴えかける浅川を、フォークを使いケーキを食べながら見ている姿が描かれた。その姿はケーキを食べる行為として“一般的”であり、決められた型にはまる行為とも言える。一方で、第1話の主な内容は、浅川が上司からのハラスメントや社内、世間からの扱いに言いたいことを飲み込み受け入れていたことが描かれ、多くの視聴者も体験したことがあるであろう「当たり前としたくないことを当たり前として受け入れ我慢すること」を体感させるものだった。与えられているものをそのまま受け入れ続けているという点が、行儀良くケーキを食べる姿と重なる。

エルピスー希望、あるいは災いー

 第2話では岸本と共に本格的に冤罪疑惑の調査に乗り出す浅川が、調査を進める中で「自分は過去にアナウンサーとしてどれだけ真実を伝えられていたのか」と自分自身を見つめる姿が描かれる。そのため、第2話のエンディング映像では、ケーキを見つめるだけで食べることをしていない。それまで当たり前に与えられ続けて来たメディアの報道(=ケーキ)は、何の疑問も持たず信じていいのか? と視聴者に気付きを与える本編の内容を反映している。

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