『秒速5センチメートル』から『言の葉の庭』へ 新海誠の魅力が詰まった2作品を再考する

新海誠の魅力が詰まった2作品を再考

 新海誠監督作『秒速5センチメートル』を初めて鑑賞した際、その切ないストーリーに、3日間ほど落ち込んでしまった。まるで自分が長年好きだった女性に、本当にフラれてしまったかのような感覚にまで陥ってしまったのだ。それほどまでに強く共感を呼び起こす要素が、この作品の中には宿っている。

『秒速5センチメートル』
『秒速5センチメートル』©Makoto Shinkai / CoMix Wave Films

 その要素とは、やはり“現実感”なのではないだろうか。今でこそ日常を扱った現実に即した背景を用いたアニメ映画も増えたものの、本作が公開されたのは2007年だ。この当時は日常系アニメというジャンルそのものが、アニメファンの中で広まり始めた頃というべきだろうか。映画に関しては、スタジオジブリのようなファンタジー映画、あるいは押井守監督などが手掛けるSF映画が主流であり、現実に基づいた作品であっても、ギャグが展開されるコメディが多かった。

 キャラクターの演技などに繊細な描写が要求される日常的な作品はハードルが高い。新海はその現実的な物語を、『秒速5センチメートル』ではほぼ一切のファンタジーもSFも入れずに作り上げた。では、新海の映像的な特徴はどこになるのだろうか。一般的には「背景がリアルであり、絵が綺麗な監督」という印象だろうか。それも間違いではないが、より詳しく述べていくと、撮影というセクションの魅力にいち早く気がつき、強化していった監督という点にある。

 『アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門』(フィルムアート社)にて、アニメ研究に携わる高瀬康司と、現役の撮影監督である泉津井陽一と山田豊徳の対談から抜粋したい。

『秒速5センチメートル』がスマッシュヒットしたことで、(中略)先進的な演出家の方々が、新海作品のような既存のアニメとは異なるビジュアルを生み出すにはどうすればいいかを探り始め、その結果、撮影に注目が集まるようになった。
『アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門』(フィルムアート社)(p142)

 90年代から00年代というのは、セル画からデジタル作画に移行する過渡期だった。そして新海はデジタル時代だからこそ初期作『ほしのこえ』を少人数で作り上げることが可能だった。セル画からデジタルに移行したことで、最も進歩したセクションとも呼ばれているのが撮影技法である。スタジオに入ることなく独学でアニメ表現を探求した新海だからこそ、撮影技術を既存の概念にとらわれることなく、進歩させたのだろう。

 実際に、近年話題になるTVアニメを含めた作品でも、撮影技術の進歩による映像表現の華麗さが話題となった例は多く存在する。高速なアクション作画の上にCGと共に派手なエフェクトをかけるufotableや、写実的な作画の上にカメラのレンズを意識したフレアなどの煌めくような表現を模索した京都アニメーションなどが、その例だ。

 近年はTwitterなどでも一部で「ジェネリック新海誠」というワードが飛び交っている。『君の名は。』以降のSF混じりの写実的な恋愛アニメ映画作品に対して、“新海っぽい”という印象だけで雑に括り語る、制作者に失礼なワードだ。しかし一方で、それだけ新海の模索した撮影技法が一般化し、それがアニメ業界全体の撮影技法の発達による変化だと観客が理解していなくても、“新海っぽい”と認識されるようになったという例でもある。

 『新海誠展 「ほしのこえ」から「君の名は。」まで』の公式図録にて、新海はこのように語っている。

すべての美術背景に自分で手を入れましたし、自分で全カットの色彩設計と撮影(コンボジット)も行った最後の作品です。僕は今でも「自分の絵ってどんな絵だろう?」と考えた時に、『秒速5センチメートル』の絵だと思うんですよね。こういう色だと思うんですよ。自分は「世界をこういうふうに見たい」という理想のようなものが、この作品には色濃く入っている。
『新海誠展 「ほしのこえ」から「君の名は。」まで』公式図録(p179)

 『秒速5センチメートル』の撮影技術というのは、現実の風景を基にした背景美術を、より美しくする。それはかつてあった懐かしい思い出を美化しているようにも感じるはずだ。だからこそ、筆者は3日間落ち込むほどに主人公・遠野貴樹に感情移入し、ありもしない創作の恋愛を自分ごとのように感じられたのだろう。

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