『SPY×FAMILY』が引き継ぐ往年のスパイ映画のエッセンス 逸脱した個性の獲得
家族か任務かではなく、任務のために家族が必要な『SPY×FAMILY』
『SPY×FAMILY』のロイドとヨルも、スパイものによくある偽装夫婦となる。任務のために夫婦を演じるのは、前述した『マリアンヌ』やヒッチコックの『間諜最後の日』のようであり、殺し屋がカモフラージュのために一般人になりきろうとするのは、互いに殺し屋であることを隠しているブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリー主演の『Mr.&Mrs. スミス』や西島秀俊と綾瀬はるか主演の『奥様は、取り扱い注意』とも似ている。
だが、『SPY×FAMILY』は偽装夫婦の間に一人のジョーカー的なキャラクターが挟まっている。心が読める子どものアーニャだ。スパイものは本心を偽り偽装することが物語の基本だが、心が読めるアーニャにはそれが通用しないという点で、スパイもののお約束を破っている。
スパイもので心が読めてしまえば、万能すぎて何をやっても上手くいきスリルがなくなってしまいそうだが、アーニャが年相応の発想力であることが本作に絶妙なズレを与えて笑いを作っている。例えば、東西の平和のために活動する父の任務を手伝いたいアーニャだが、そのために出てくる発想が「かわいい犬を飼う」だったりする。「犬を飼うと平和になる」と直訴するアーニャに対してロイドは「心の平和が?」みたいなズレた返しになるという具合だ。
スパイものがコメディとして機能するには、観客は登場人物の思惑や事情を、あたかも心が読めるかのように知っている必要がある。例えば、エルンスト・ルビッチの名作『生きるべきか死ぬべきか』は、ナチスのポーランド侵攻を題材にしたスパイコメディだ。主人公たちは舞台役者で、その演技力を活かしてナチ将校たちを欺くわけだが、そこに男女の不倫関係などが事前に観客に開示され、それぞれのズレたリアクションと騙し合いが笑いを伴い展開していく。
その意味でアーニャの立場は、物語の中にいながら観客に近い立ち位置で、同じ情報を共有している。アーニャの立場でこの疑似家族を眺めるからこそ、この疑似家族の平穏を望むよう、観客に仕掛けられる構成になっているのだ。
もう一つ本作のユニークさは、スパイものは『マリアンヌ』や『陸軍中野学校』のように、家族を取るか任務を取るかの決断を迫られることが多いが、本作の場合は任務のために円満な家庭を必要とする点だ。それゆえ、任務に忠実であればあるほど、父役のロイドが教育熱心なマイホームパパに見えてくるというギャップが面白さを生んでいる。
典型的なシーンを挙げると、イーデン校の入学式で、アーニャの同級生に政府高官の子どもたちがたくさんいることを知ったロイドは「全員と仲良くするんだぞ」とスパイ任務の有効性を思ってつぶやくが、ヨルには娘思いのパパとしてほほえましく見えるシーンだ。
スパイものでは、自らを犠牲に国や世界の平和に貢献する。そういう犠牲の上に平和が成り立っていることを描くジャンルという側面があるが、本作の場合は円満な家庭の先に東西の平和があるという構図になっている。本作の構図自体が典型的なスパイものに対してズレを作っており、そこに本作独特の、スパイものでありながら緩いほのぼのとした雰囲気を生み出している。
サスペンスの宙づりとほのぼの家族ドラマを両立させた設定
『SPY×FAMILY』の作劇としての特徴は、心の声である内面をモノローグで大量に聞かせる点だ。マンガやアニメでは珍しくない手法だが、本作は特に多い。スパイは表の言動と内面の思惑が不一致であることをわかりやすく提示するためだろう。
過剰に内面の声が聞こえてくるが故に、観客はこの3人の全てを知ったような気分になる。実際、表層的に全ての情報を開示して徹底的にわかりやすくすることにも貢献している。
だが、案外この作品は肝心な部分を見せていない。ロイドは何者なのか、スパイであること以外ほとんど素性がわからないし、アーニャはどうして孤児院にいたのかも(まだ)描かれない。彼らの思惑や思考はわかっても、そのさらに奥にある「本音」に関しては、想像に任せられる部分が多い。
時折、ロイド自身が自然と湧き出た感情に困惑する時がある。任務のための道具であるはずの偽りの家族なのに本当のつながりを求めてしまっているような。その感情は本人にも正体がわからないがゆえに、具体的な心の声にならない時がある。
『SPY×FAMILY』という作品のドラマの本質はここにある。アーニャにしても、イーデン校の面接時、母のことを持ち出されて、なぜ声もなく涙を流したのか。そこには、本人すら気が付かない、あるいは記憶の底に封じ込めた何かがあるのだろう。
任務のために円満にしなくてはいけない家族は、任務が終われば維持する必要がなくなる。その時、3人にどのような葛藤が訪れるのだろうか。今まで本人たちも気が付いていなかった、奥の奥にある「本音」が描かれていくのかもしれない。
この点において、本作はスパイものの典型を破りながら、一周回ってスパイものの典型、家庭か任務かの選択を、この疑似家族はいつか迫られるかもしれない。この宙づりによる緊張感を失わず、アットホームなファミリードラマを紡ぎ続ける両義的な展開を可能にした点が、本作を洗練されたコメディにしているのだ。
■放送情報
『SPY×FAMILY』第2クール
10月放送予定
キャスト:江口拓也、種崎敦美、早見沙織ほか
原作:遠藤達哉(集英社『少年ジャンプ+』連載)
監督:古橋一浩
キャラクターデザイン:嶋田和晃
総作画監督:浅野恭司
助監督:片桐崇、高橋謙仁、原田孝宏
色彩設計:橋本賢
美術設定:谷内優穂、杉本智美、金平和茂
美術監督:永井一男、薄井久代
3DCG監督:今垣佳奈
撮影監督:伏原あかね
副撮影監督:佐久間悠也
編集:齋藤朱里
音響監督:はたしょう二
音響効果:出雲範子
音楽プロデュース:(K)NoW_NAME
制作:WIT STUDIO×CloverWorks
(c)遠藤達哉/集英社・SPY×FAMILY製作委員会
公式サイト:https://spy-family.net/
公式Twitter:https://twitter.com/spyfamily_anime