「恐怖の村」シリーズで最も危険? 清水崇監督が『牛首村』で回帰した正統的なホラー表現

『牛首村』の正統的なホラー表現

 面白いのは、インターネットで評判を覗いてみると、「本作がシリーズ中で一番出来がいい」という意見と、「シリーズ中で一番出来が悪い」という真逆の意見が混在しているということだ。これまでのシリーズ、第1作『犬鳴村』では、マイケル・ジャクソン「スリラー」の群舞を想起させるように怨霊たちが迫り来るシーンがあったり、第2作『樹海村』では、サイキック表現やダークファンタジーを思わせる表現があった。それらに比べると、本作『牛首村』は、演出上の大きなインパクトに欠ける作品といえるかもしれない。

 筆者としても、前2作の評「『犬鳴村』はただ絶叫するだけのホラー映画ではない 描かれた“真の恐怖”に迫る」、「『犬鳴村』のスケールを大きく超える恐怖表現 『樹海村』の恐怖の源泉を考察する」を書いてきた上で、今回は突出した特徴を見出しづらいという印象を持った。

牛首村

 しかし、そのことがむしろ、これまでより正統的なホラー表現に回帰していると感じられるのも確かである。ホラージャンルのどこに面白さや恐怖を感じられるかは、観客の好みに大きく左右されるところがある。このような観客の評価の割れ方は、その事実をあらためて示すことになったといえよう。

 そんな本作でベストといえる恐怖表現は、「坪野鉱泉」の屋上から少女が飛び降りるイメージが水溜りに反射し、その様子が何度も何度もエンドレスで再生される場面である。身体が一瞬宙に浮いたような美しい物理的運動を捉えた瞬間と、その後すぐ猛スピードで地面に激突する暴力的な瞬間が交互に繰り返される不気味な光景は、われわれが日頃の生活で潜在的に感じている恐怖感と、どこかでつながっているように思える。ここは、清水監督の才能のきらめきを感じられる、さすがの演出だった。

 また、富山の魚津名物とされる蜃気楼のシーンでは、「新湊大橋」が変形する様子が印象的だ。それ自体は心霊的な現象ではないが、左右対称のかたちで奇妙に捻れた橋のシルエットは、見ようによって黄泉の世界の巨大な建造物のように感じられ、薄気味が悪い。魚津の蜃気楼のなかでも、ここをチョイスするセンスは素晴らしい。これら2つのシーンがあるだけでも、本作を観る価値はあるのではないだろうか。

牛首村

 一方で、疑問に感じられる点もある。本作に登場する、牛首村に伝わるという不気味な唄の歌詞は、清水崇監督自ら作詞しているというが、そのなかの「どですかでん」というフレーズは、もともと黒澤明監督の映画『どですかでん』(1970年)に登場し、原作者の山本周五郎による造語だといわれるものである。日本で古来より伝わるという設定としては不釣り合いだろうし、内輪のユーモアだとしても、とくに面白いものではない。また、主人公の祖父、祖母の若かった時代、村で口減らしや古い風習のための子捨てがあったと描かれているが、彼らは戦後の世代であり、いくら何でも時代錯誤的ではないか。

 これらの描写は、作品の恐怖や娯楽性を高める方向に作用するものではなく、作品世界のリアリティをいたずらに減じてしまっている箇所だと感じられる。3作目ともなり、だんだん作り手の緊張感が薄れ、細部が雑になってきたのではないのか。もし第4作があるならば、その点については一度初心にかえって、立て直しをしてもらいたいところだ。さもなければ、シリーズ全体がどんどん陳腐なものになってしまいかねない。

 ちなみに、次作のネタはまだまだたくさん転がっている。「見知らぬ駅」、「くねくね」、「猿夢」、「リンフォン」など、映像化すると楽しそうなネット怪談は少なくない。ロケ地となる心霊スポットも、まだ九州、関東、北陸しか舞台となっていないため、無数の選択肢がある。清水崇監督のキャリアが、「恐怖の村」シリーズに縛り付けられていいのかというジレンマはありながら、このシリーズの先をもっと観てみたいというのも、正直な感想である。

※Koki,の「o」はマクロン付きの「o」が正式表記。

■公開情報
『牛首村』
全国公開中
出演:Koki,、萩原利久、高橋文哉、芋生悠、大谷凜香、莉子、松尾諭、堀内敬子、田中直樹、麿赤兒
監督:清水崇
脚本:保坂大輔、清水崇
企画:紀伊宗之
企画プロデュース:高橋大典
制作プロダクション:ブースタープロジェクト
配給:東映
(c)2022「牛首村」製作委員会
公式サイト:www.ushikubi-movie.jp

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