コロナ禍の影響もより浮き彫りに? 2021年のドキュメンタリー映画を振り返る 

2021年をドキュメンタリー映画で振り返る

 映画館はもちろん、配信の普及……さらには、コロナ禍による自宅生活の長期化など、ドキュメンタリー映画に触れる機会が、昨年にも増して多くなったように思えた2021年。その中には、いわゆる「年間ベスト映画」に選出される作品も、いくつかあるのではないだろうか。それにしても、観たい作品、観るべき作品が、あまりにも多過ぎる。ということで、前回(参照:『さよならテレビ』から『空に聞く』まで 2020年のドキュメンタリー映画を振り返る)に引き続き本稿では、筆者が今年観て印象に残ったドキュメンタリー映画を時系列に沿って並べながら、ひとつのドキュメント(記録)として、2021年を振り返ってみることにしたい。

印象に残ったドキュメンタリー映画10作品

・『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』
・『二重のまち/交代地のうたを編む』
・『SNS -少女たちの10日間-』
・『アメリカン・ユートピア』
・『東京自転車節』
・『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
・『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”』
・『ザ・ビートルズ:Get Back』
・『世界で一番美しい少年』
・『香川1区』

『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』(c)2019 Scudetto Pictures Limited

 年明け早々2度目の緊急事態宣言が発令され、再び先行き不明な状況に陥った2021年。それに伴い、公開時期の再検討を余儀なくされた作品が多い中、2020年からの度重なる延期の末、当初予定していた4月ではなく2月5日に繰り上げて公開された映画――それが『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』だった。というのも、公開待機中である2020年の11月25日に、マラドーナが急逝してしまったから。その追悼上映の意味もあったのだろう。サッカー界きってのスーパースターである彼の「光」の部分のみならず、ナポリ時代のマフィアとの交流など、その「影」の部分にも踏み込んでみせた本作。清濁併せ飲んだナポリ時代の「熱狂」とは何だったのか。それは奇しくも最近上映&配信がスタートした、生粋のナポリ人であり、多感な10代の頃にマラドーナの狂騒を体験したイタリア人監督、パオロ・ソレンティーノの半自伝的映画『The Hand of God』でも窺い知ることができるだろう。

 被災地で暮らす人々を記録した『息の跡』『空を聞く』などの傑作ドキュメンタリーで知られる映画監督小森はるかと、画家であり作家でもある瀬尾夏美のワークショップから生まれた『二重のまち/交代地のうたを編む』(2021年2月27日公開)は、個人的にも非常に忘れ難い一本だ。2018年、岩手県陸前高田市を訪れた4人の若き「旅人」たちが、その土地の風景の中に身を置き、そこで暮らす人々の声に耳を傾けながら、やがてそれぞれの「言葉」で語り始めるまでを記録した本作。それは、時間と場所を超えて伝承される「民話」の萌芽を目の当たりにするような驚きと同時に、現在さまざまな領域で直面することの多い「当事者/非当事者」の問題に、ひとつの指針を与えてくれるような映像体験だった。

『SNS -少女たちの10日間-』(c)2020 Hypermarket Film, Czech Television, Peter Kerekes, Radio and Television of Slovakia, Helium Film All Rights Reserved.

 公開から数日後に今年2回目(通算3回目)となる緊急事態宣言が発令されるなど、興行的には不遇な状況に見舞われたものの、4月23日に公開されたチェコのドキュメンタリー映画『SNS -少女たちの10日間-』も、実に強烈なドキュメンタリー映画だった。SNSを題材としたドキュメンタリーはこれまでも数多くあったけれど、その「闇」の部分に光を当てるべくこちらから「仕掛けていく」という意味で画期的だった本作。巨大な撮影スタジオに設置された3つの子ども部屋から、童顔の女優(18歳以上)3人が、それぞれ12歳と偽りSNSにアクセスするという「実験」の顛末を記録したこの映画が浮き彫りにするのは、SNSを介した「児童への性的搾取」の生々しい実態だ。倫理的な危うさを少々感じることも否めないが、そこに映し出される「顔の無い男たち」の欲望は、この世界に間違いなく存在するのだ。

 「緊急事態」が次第に常態化していく中、気軽にライブに行けないストレスも関係しているのだろう、今年はとりわけ「音楽」に関係したドキュメンタリー映画に多くの注目が集まった。

『アメリカン・ユートピア』(c)2020 PM AU FILM, LLC AND RIVER ROAD ENTERTAINMENT, LLC ALL RIGHTS RESERVED

 その中でも、いわゆる「ファン」以外の人々にも広く支持されたという意味で、スパイク・リー監督によるデヴィッド・バーンのコンサート映画『アメリカン・ユートピア』(2021年5月28日公開)は、非常に画期的な作品だった。単なるコンサート映画ではなく、コロナをきっかけに噴出した人種問題をはじめとするさまざまな社会問題に対する、音楽の側からのひとつの「回答」として、あるいは60代後半となりながら今もなお自らの音楽を更新し続けようとするひとりのミュージシャンの「在り方」として、心震えるような極上の映像体験だった。

『パンケーキを毒見する』

 「コロナ禍の日本」を描いたドキュメンタリーは、テレビ番組なども含めて数多く観たけれど、昨年7月30日に公開された『パンケーキを毒見する』(2020年の8月に突如辞任した安倍政権を引き継ぎ、コロナ禍の首相、さらには東京オリンピックの首相となった菅義偉とは何者だったのか?)以上にリアルな「日常」――否、「新しい日常」を描いた作品として強く心に残っているのは、それに先行して公開された『東京自転車節』(2021年7月10日公開)のほうだった。2020年の初夏、コロナ禍の東京で自転車配達員として生計を立てることを決めた若いドキュメンタリー作家が、悪戦苦闘する日々を自ら撮影した本作。劇中でも話題に上るケン・ローチ監督の映画『家族を想うとき』との関連性はもちろん、終始明るいトーンでポジティブに物事を捉えようとする主人公が、やがて映画『ジョーカー』のようなオーラを身に纏い始める終盤のスリリングな展開。そんな彼を繋ぎとめたのが、「他者との関わり」(それは、この体験を映画にして公開するという行為も含むのだろう)だったという部分も含めて、この国の「現状」や「在り方」について、多くのことを考えさせられる一本だった。

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』(c)2021 20th Century Studios.All rights reserved.

 先に挙げた『アメリカン・ユートピア』以外にも、Apple TV+での配信の好評を受けて6月25日に劇場でも公開されたドキュメンタリー映画『ビリー・アイリッシュ:世界は少しぼやけている』、デビュー30周年を記念して制作され7月9日に公開された『映画:フィッシュマンズ』など、「夏フェスの無い夏」を盛り立てるように「音楽映画」の秀作が続々と公開された2021年の夏(そう言えば、オリンピックもあったっけ)。その最後を締め括ったのは、8月27日に公開された『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』だった。

 ウッドストック・ロック・フェスティバルと同年である1969年に、ニューヨークのハーレムで開催されながら、ほぼ「忘れられた」出来事となっていた音楽イベントを、ザ・ルーツのドラマーとしてはもちろん、DJ、プロデューサー、作家としても活躍するアミール“クエストラブ”トンプソンが「監督」として、当時の貴重な発掘映像をもとに編集・構成した本作。スティービー・ワンダーやニーナ・シモン、スライ&ザ・ファミリー・ストーンなど、次々登場する豪華ミュージシャンたちのステージの魅力はもとより、彼らが投げかける「言葉」とそこに集まった観客たちの「熱狂」が、いつまでも心に残る一本だった。

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