『The Hand of God』は“圧倒的”な一作に パオロ・ソレンティーノが考える“若者のすべて”

パオロ・ソレンティーによる“若者のすべて”

 アカデミー賞のシーズンが近づき、賞レースを意識した作品が増えている。Netflixでは初のアカデミー賞作品賞の受賞を目指し、『tick, tick... BOOM!:チック、チック…ブーン!』、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』、『ドント・ルック・アップ』など、話題性と作家性が両立した作品を今年も揃えている。

 その中に、アカデミー賞外国語映画賞にイタリア映画として出品された本作『The Hand of God』がある。だがこの作品、Netflixのそんな作品群の中でも別格といえるほど“作家性”を追求した規格外の一作だった。その徹底さはアルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』をもしのぐ、Netflixオリジナル映画史上、最もアーティスティックなものといえるだろう。

 かつてイタリアには、不世出の才能を持って映画史における一つのピークと呼べるほど、圧倒的な作家主義的映画を撮り続けていた、フェデリコ・フェリーニ監督がいた。本作の監督パオロ・ソレンティーノは、その特異な作家性の一部をイタリア人映画監督として受け継ごうとする存在である。これまでに巨匠といえる監督に出資してきたNetflixが、ここにきてそんなソレンティーノという、ある意味では時代錯誤的ともいえる才能に出資したことで、これまでにない個性が反映する傑出した一作が出来上がったのだ。

『The Hand of God』

 その題材は、ソレンティーノ監督自身の思春期の自伝的な経験であり、彼の出身地であるナポリの一時代と、それを背景とした家族のポートレートである。ソレンティーノが投影されたファビエット(フィリッポ・スコッティ)という一人の青年の視点から、両親や兄、親戚たちや友人、異性、表現者たちなど、人格が形成され歩む道を決める多感な時期を取り巻く人々が映し出されていく。その中の一人が“マラドーナ”である。

 1980年代当時、ナポリのプロサッカークラブチームに、これまでの史上最高額の移籍金によって、サッカー史上でも最高峰といえるアルゼンチンの伝説的選手ディエゴ・マラドーナが加入することが大きな話題となっていた。マラドーナはナポリで活躍し、チームを躍進させるとともに、アルゼンチン代表としてワールドカップのイングランド戦で神業のような数々のプレーを披露。ゴールキーパーとの競り合いで巧妙に手を使ってゴールを決めてしまった「神の手(The Hand of God)」は、サッカーファンなら誰もが知る伝説となった。その言葉は、地元ナポリを愛するソレンティーノ監督の一時代を象徴する本作のタイトルともなる。偉大なスポーツ選手の存在を通して時代を語る手法は、ラッセ・ハルストレム監督の『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(1985年)などにも近い。

 本作がどれほど楽しく、そして美しい幻想に満ちているか。それを理解するには、冒頭の数シーンだけでも十分にこと足りる。夜のナポリの街でバスを待っている女性……ソレンティーノ監督の少年時代からの永遠のミューズであるという、美しいおばの姿だ。彼女はその夜、ナポリの聖人“聖ジェナーロ”と、ナポリの伝承に登場する、子どものような姿をした奇怪な僧“ムナシエロ”との出会いを果たし、妊娠できない悩みを抱える彼女に、子どもを授かるまじないをかけてもらうのだった。

『The Hand of God』

 この一連の不思議な場面は、彼女が夫の待つ家に遅く帰った夜に、彼女が説明した内容を再現したものだ。夫はそんな非現実的な話を信じず、彼女が持っていた金銭を見て、売春してきたんだろうと詰め寄って暴力を振るった。おばからの連絡を受けたファビエットや両親もまた、怪我をしている彼女から、その荒唐無稽な話を聞いたのだ。しかしファビエットは、その話を信じてみたいと思った。彼女は売春をしたのでも不倫をしたのでもなく、本当に聖ジェナーロとムナシエロと出会ったのだと。本作で描かれる奇跡的な出会いのシーンとは、同様の話を聞いたソレンティーノ監督がそれを実際にあったこととして映像化したということなのだ。

 その場面の幻想的で荘厳な、しかしどこかユニークでグロテスクでもある雰囲気は、やはりフェリーニ映画のそれを連想させる。壁が剥落した広い部屋の中央には、巨大なシャンデリアが落下しており、煌々と光を放っている。フェリーニ監督後期の傑作『カサノバ』(1976年)で最も美しい、無数のシャンデリアが床へと降りてくる一場面を連想させる光景だ。また、自分の肖像を非現実的な描写も含めて表現するという意味では、『8 1/2』(1963年)が全体のインスピレーションになっていると感じられる。

『The Hand of God』

 そのように本作は、リアリスティックな場面と幻想が交錯するような複雑なシーンの数々が描かれていき、刺激的なイメージを表現した映像の波が次々に押し寄せる。シナリオが要請するものだけではなく、現在の成熟した芸術への姿勢や技術によって、自身の青年時代の出来事を、当時の若い感性のまま描き直していくのである。家族との楽しい日々や、甘美な夢に包まれていた時代を表現するのだから、それがときに非現実的なものとなるのは道理である。

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