内田理央の“全力”が成立させた「六壁坂」 『岸辺露伴は動かない』次回作もきっと傑作!
『岸辺露伴は動かない』(NHK総合)における実写化で、最も待望視されていたエピソードは「六壁坂」だった。昨年、筆者が脚本の小林靖子にインタビューした際(参考:『岸辺露伴は動かない』脚本・小林靖子が大事にした荒木飛呂彦イズム 「台詞に“ッ”を入れちゃう」)、「実写化してみたい話は?」という問いかけに返ってきたのも「六壁坂」。そして、その後に続いたのが「あれは不気味で映像で観てもすごそうだなって。でも、ちょっと年末には向かないですね(笑)」という所感である。
そう、「六壁坂」は多くの原作ファンに期待されながらも、誰もが実写化は難しいと容易に想像できるエピソードでもあった。「不気味」な要素はいくつかある。その一つが、止まらない釜房群平(渡辺大知)の血だ。
六壁坂村で300年続く味噌づくりで成功した大郷家の一人娘・大郷楠宝子(内田理央)。そこでバイトの庭師として働き、楠宝子のボーイフレンドでもある群平。そして、楠宝子には親が決めた婿養子の相手・修一(中島歩)がいた。楠宝子が群平に手切れ金を渡すところから口論に。楠宝子が突き飛ばした拍子に群平は後頭部にゴルフクラブが突き刺さり死亡するのだ。いや、「死に続ける」といった表現が正確には正しい。
「六壁坂」で最も見せ場となるのは、出血し続ける群平を楠宝子が修一から隠す場面である。ただ、実写化する上でハードルとなるのは「血」。擬音で表現すれば「ブシュゥゥッー」と噴出するその様子は、見方によればグロい(さらに楠宝子は下着姿になるので言ってみればエログロ)。実写化、さらにはNHK的にも様々なコンプライアンスをクリアする必要があるのだ。
そこを『岸辺露伴は動かない』は驚くような表現方法でクリアして見せた。それが「モノクローム」だ。色自体を白黒にしてしまえば、床に広がっていく血は液体──「血のようなもの」として可視化される。あとは視聴者の想像がその余白部分を埋めてくれる。この表現技法自体も、アニメ版の『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズ(以下『ジョジョ』)、そして『岸辺露伴は動かない』にかなり近い。日常から非日常に切り替わる瞬間の変化。例えば、「懺悔室」で空は赤に、雲は青となるのは、“荒木飛呂彦イズム”を感じさせる大胆なカラーリングだ。アニメ版の「六壁坂」ではモノトーンで楠宝子の心情が表されていたことを考えれば、この実写版の「六壁坂」はアニメ版も元ネタとして取り込んでいるとも言えるのではないか。
また、視聴者の想像の余白部分を見事に補っていたのが、楠宝子役の内田理央による演技だ。生粋のジョジョファンでも知られている内田は、事前番組『私の岸辺露伴語り』(NHK総合)で露伴を目の前にして鼓動の高鳴りを抑えるのに必死だったと明かしながら、楠宝子を演じるにあたって「露伴の世界の人になるために、常に『岸辺露伴は動かない』のアニメを家で流していました。一番なじんでいる状態で現場には入れたと思います」と語っている。筆者が驚いたのは、内田の声色の変化だった。大きく分ければ、大郷家の一人娘として気品高く落ち着いた声、離れで群平と2人でいる彼女としての愛らしい声、そして、血が止まらない群平を前にし動転する悲鳴にも似た声だ。もちろん、メイクや衣装の変化も大きく作用しているが、「今ある私の力を全て注げたので後悔はありません」とオンエア後にツイートしていた内田の「全力」を持って成り立っている部分は大きい。
また、この「六壁坂」は少々無理のあるシチュエーションや設定が存在するエピソードでもある。漫画やアニメでは荒木の力技でなんとかなるのだが、実写となると粗として目立ってしまう。筆者がどうなるのかと最も注目していたのが、修一が離れに足を踏み入れて楠宝子と会うシーンである。一面血の海だったことはモノクロの演出でカムフラージュされ、鍵を付け替えたという新たな設定を加えることで群平を隠す時間が確保でき、タンスの上から落ちてくる血は「滴」になることで楠宝子が喋っていても不自然ではなくなる。脚本を担当する小林の構成力、高橋一生が絶大な信頼を寄せる渡辺一貴の細かな演出あってのものである。