瀬戸康史が一人二役で魅せる 舞台『彼女を笑う人がいても』が問う「言葉の力」

瀬戸康史が一人二役の舞台で問う「言葉の力」

 瀬戸康史が主演を務める舞台『彼女を笑う人がいても』が、世田谷パブリックシアターにて上演中である。本作は、『アズミ・ハルコは行方不明』(2016年)や『リバーズ・エッジ』(2018年)など映画の脚本も手がける劇作家・瀬戸山美咲が劇作を担当し、ストレートプレイからミュージカル、古典から気鋭作家による新作までも舞台上に花開かせる栗山民也が演出を務めたもの。共演に木下晴香、渡邊圭祐、近藤公園らを迎え、「“60年安保闘争”と“現在”」の関係を軸に「言葉の力」を問う、繊細で力強い社会派ドラマを立ち上げている。

 黒い傘を手にした人々が、ひとり、またひとりと舞台上にやってくるところからこの物語は始まる。時は1960年6月16日で、場所は国会議事堂前。しとしとと雨が降っている。この前の日、日米安全保障条約の改定に抗議する者たちの中で、ひとりの女学生が命を落としたのだーー。時は変わり2021年。新聞記者である伊知哉(瀬戸康史)は、これまでずっと東日本大震災の被災者への取材を続けてきたが、社会部からの配置転換を言い渡され、被災者の「声なき声」を新聞という大きな力で世に届けることができなくなってしまう。コロナ禍によって世界が混乱に陥る中、日本は東京オリンピック開催に向かっている。そんな折、伊知哉は祖父の吾郎(瀬戸の一人二役)もかつては新聞記者であり、60年安保闘争の年に辞職したことを知るのだったーー。

(左から)阿岐之将一、木下晴香、瀬戸康史、渡邊圭祐

 本作のタイトルは、“女学生”のモデルである樺美智子の詩の一節から考案されたものなのだという。とても印象的なタイトルである。理不尽な現実を変えるために闘争に力を尽くし、最期まで意志を貫いた彼女は無念の死を遂げたばかりか、新聞によって伝えられた訃報は、真実とは異なるものだったというのだ。誰に笑われようと、自分の道を進んだ女学生。しかし彼女の真実の叫びは、「声なき声」として扱われた。闘争が激化する1960年と、震災からの復興よりもオリンピック開催に色めき立つ2021年が交差する本作では、主人公の伊知哉と吾郎がそれぞれの時代で「声なき声」をすくい上げようと奔走するさまが描かれる。

瀬戸康史

 上演時間は105分。1960年と2021年というふたつの時代を往還し、それぞれ一人二役で物語を展開させていく俳優たちの演技に魅せられる作品だ。中でも、伊知哉と吾郎を演じる瀬戸は舞台上から一度も去ることなく、終始セリフを口にし続ける。この役は、高い器用さを持つ俳優にしか演じられないものだと感じた。「言葉」を扱う者として、伊知哉は被災した人々の、吾郎は闘争に臨む人々の「声」に耳を傾ける。つまり、主体は取材対象者にあり、現状に対して叫び声を上げるのは“彼ら”の周囲の人々だ。人々の声を耳にするうちに沸き上がってくる感情を瀬戸は105分間、常にギリギリのところで抑制し、維持し続けている。技術的に優れている者だからこそなせるわざであり、作品における自身の立ち位置を俯瞰的に捉えられる者でなければ務まらない役どころである。

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