ヴィルヌーヴ版『DUNE/デューン』の本質的な評価を考察 真価が問われるのはパート2?

ヴィルヌーヴ版『DUNE』の評価を考察

 ヴィルヌーヴが『デューン』に入れ込んだように、ホドロフスキーも『デューン』の魔力に惹かれて企画のコントロールを失い、リンチもまた長大なシーンを撮り続け、芸術の闇に迷い込んでしまった。『デューン』はまさに、映画人にとって底のない沼のような存在である。とはいえ、ヴィルヌーヴがパート1を高いレベルで完成させ得たのは、現在のスタジオにおける、超大作映画の管理システムがより詳細で厳格になっているとともに、ヴィルヌーヴ自身が職業監督としての堅実さを持っているためであろう。

 つまりホドロフスキーとリンチは、映画監督である前に一人のアーティストであり、アーティストであるが故に作品の完成へと前進しているようで後退しているという、奇妙な罠に最後まで囚われてしまったのではないだろうか。逆をいえば、パート1を見事に完成させたヴィルヌーヴは、芸術の狂気から抜け出すことができたからこそ、想像の範疇にとどまり、観客全てをねじ伏せるような圧倒的なイマジネーションを獲得できなかったのではないか。そこには、狂気にたゆたうのではなく、自身の狂気から距離をとる冷静さが常に感じられるのだ。

 そう考えるならば、『デューン』という存在は、蛮勇をふるって自らが狂う覚悟がなければつかまえられないものであり、深追いをすればそのまま帰れなくなるような、「芸術」そのものを言い換えた存在であるといえないだろうか。本作に続くパート2が撮られるのであれば、そのときこそヴィルヌーヴのアーティストとしての本当の真価が問われることになるだろう。『デューン』は、全てを捨てる覚悟がなければ近づくことすら敵わない、やはり高くて遠い峰なのである。

 いつまでも完成しない芸術。だからこそ、『デューン』には挑戦する価値があり、クリエイターの見果てぬ目標であり続ける意味がある。われわれ観客は、そんな過酷で残酷な、そして美しい挑戦を見つめる、時代の目撃者である。

■公開情報
『DUNE/デューン 砂の惑星』
全国公開中
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
脚本:エリック・ロス、ジョン・スペイツ、ドゥニ・ヴィルヌーヴ
原作:『デューン/砂の惑星』フランク・ハーバート著(ハヤカワ文庫刊)
出演:ティモシー・シャラメ、レベッカ・ファーガソン、オスカー・アイザック、ジョシュ・ブローリン、ゼンデイヤ、ジェイソン・モモア、ハビエル・バルデムほか
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2020 Legendary and Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved
公式サイト:dune-movie.jp

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