イッセー尾形がフランス人監督と触れたものづくりの原点 『ONODA』が映す今の日本
1974年、小野田寛郎さん帰国時の日本
――映画の中の小野田は、ほとんど自らの心情を語らないわけで。最後のほうは、それを語る相手もいなくなるわけですが。1974年、実際に小野田さんが日本に帰国してきたときっていうのは、どういう感じだったのでしょう?
イッセー:やっぱり横井さんと比較してしまったところが、ちょっとありましたね。
――2年前の1972年に、同じく元日本軍の敗残兵である横井庄一さんが、グアムから日本に帰還したんですよね。
イッセー:その映像を観たときに、「さもありなん」っていう感じだったんですよね。そのあとに小野田さんが戻ってきたんですけど、すごく立派な感じで、やっぱり少尉は違うなって思ったり。そうやって、横井さんと比較しちゃったのを覚えています。
――横井さんの「恥ずかしながら戻ってまいりました」という言葉が、当時の流行語になったりしたのと比べると、小野田さんの世の中的な印象は、少し薄かったのかなと。
イッセー:その前に横井さんで大騒ぎして、小野田さんは2人目でしたから。3人目がいるかもしれないとか、どうしてもそういう話になっていきますよね。小野田さんは機密条項の多い中野学校の出身ですから、取材とかもいろいろあったんでしょうけど、きっとお断りになったんでしょう。小野田さんの中では、まだ軍国主義が続いていて、これをしゃべるとまずいからというのもあっただろうし、さっき言ったように、小野田さんは当時の日本社会に入ったばかりで、信じるものが無い状態だから、まだ言うことはありませんっていう感じだったのかもしれないですよね。その翌年に、ブラジルに移住されたのも、別天地に行って、自分の人生をもう一回見つけようとされたのかもしれないですし。でも、それは小野田さんの問題というよりも、我々の社会の問題のような気もするんですよね。
――本作を観たあとだと、なおさらそう思いますよね。小野田さんを発見したのが、仲野太賀さん演じる、いかにも70年代っぽい旅行者の青年だったというのも、いろいろ考えさせられる事実であって。
イッセー:国や親族が説得しても応じなかったのに、あの青年だけが小野田さんを引っ張り出せたというのは、ある意味、時代の皮肉ですよね。そういう意味でも、この映画を観て、「小野田さんから見た、今の日本」を感じるというか、スクリーンの中の小野田さんに、何かを突き付けられているような気がするんです。それは言葉ではなくて、もっと身体が反応するようなものだったと思うんですけど。
『沈黙』『太陽』『ONODA』など外国人監督の共通項
――最初の話にも出てきたマーティン・スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』はもちろん、アレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』にも「昭和天皇」役で主演されて、外国人監督の現場は、やはり日本の現場とは違うものなのでしょうか?
イッセー:基本的に、みなさんに共通しているのは、内容第一であることです。この映画を撮るために、このシーンのこの言葉が必要であって、だからこういう演出をするんだというのがすごく明確なんです。スケジュールの都合とか、諸々の些末な理由で、それを止めたりせず、余計なものが何もない状態の中で、純粋にそのシーンを撮ろうとする。そこはみなさん、確信を持ってやっているので、現場が静かなんですよ。誰も怒鳴ったりせず、あくまでも淡々とやるっていう。今回の映画の場合は、アルチュールと澁谷くんが僕の目の前にきて、3人で試行錯誤したり、ミーティングの時間がすごく長かったですけど(笑)。それは僕にとっては、すごく楽しい時間だったし、他の外国の監督さんには、無かったことでしたね。
――イッセーさんが出演された外国映画を観ていて思ったのは、台詞はもちろん大事ですけど、その「ただずまい」や「表情」もやはり大事であって……というか、そこは国を越えて伝わるものだし、監督も撮りたいところなのだろうなと。
イッセー:『沈黙』の最初のシーンで、僕が馬に乗ってキリシタンたちの村にやってくるシーンがあって。そのシーンを撮る前に、日本人って、わけもわからず薄笑いを浮かべているみたいなイメージがあるというか、アメリカの人たちからすれば、いつもヘラヘラ笑っているように見えるみたいな話を思い出したんですよね。だから、敢えてヘラヘラ笑いなが登場するというか、向こうの人たちがイメージするであろう日本人を演じることを心掛けたんです(笑)。それは『太陽』も同じで、向こうが思っているであろう日本人のイメージ、昭和天皇のイメージで演じるというのは、基本にありますね。
――イッセーさんの中に、そこで齟齬が生まれたりはしないんですか?
イッセー:敢えてそれに乗っていくというか。それは人から与えられたものとはちょっと違っていて、人が与えるであろうことを、自分で発見する、その喜びっていうのがあるんですよ。
――ある種、役者の醍醐味のような?
イッセー:そうですね。業に近いものですけど(笑)。こうだろうってことを、敢えてやってみることから出発するわけです。ただ、『ヤンヤン 夏の思い出』の(エドワード・)ヤンさんの場合は、それとはちょっと違っていて、「この日本人は、すごくチャーミングなんです。エコノミックアニマルとか、ガツガツしている商売人ではなく、もっとファンタジーな感じの人なんです」って言われて……そのときは、困りましたね(笑)。僕はファンタジーは弱いので。「彼は鳩とも仲良しなんです!」と言われたけど、僕は鳩が嫌いでね。「鳩ともっと仲良しになってください!」って言われて「それは無理だな……」と思ったときがありました(笑)。結局、頑張ってあんなふうにやってみて。もう随分前の話になりますけどね。
>>遠藤雄弥×津田寛治×松浦祐也が語る、『ONODA 一万夜を越えて』
■公開情報
『ONODA 一万夜を越えて』
全国公開中
出演:遠藤雄弥、津田寛治、仲野太賀、松浦祐也、千葉哲也、カトウシンスケ、井之脇海、足立智充、吉岡睦雄、嶋田久作、伊島空、森岡龍、諏訪敦彦、イッセー尾形
監督:アルチュール・アラリ
制作:bathysphere productions
配給:エレファントハウス
(c)bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinema
公式サイト:https://onoda-movie.com