イッセー尾形がフランス人監督と触れたものづくりの原点 『ONODA』が映す今の日本

『ONODA』イッセー尾形が感じた今の日本

核にあるのは強烈な「体験」

――先ほど「謎めいた」という話もありましたが、イッセーさん演じる谷口は、ある意味小野田の運命を決定づけた人物であり、彼がいわゆるステレオタイプの軍人ではないところが、非常に面白かったです。

イッセー:ある程度のカリスマ性とミステリアス性を持ちつつ、やはり「玉砕はまかりならん」というのが陸軍学校の教えの特殊性であって、谷口はそれを体現する人ですから、いかにも軍人じゃまずかろうし、かといってそのへんの与太郎みたいな感じでは、部下がついてこないだろうし……。ひとつの神秘性を持った人物としては、作りたかったみたいなので、それに報いようと思って、頑張らせていただきました(笑)。

――そんな谷口の存在が、本作をいわゆる「反戦映画」とは、少し風合いの異なる作品にしているようにも思いました。

イッセー:もし仮に、「反戦」というものがあったとしても、最初から「反戦」じゃないと思うんですよ。ある強烈な言葉にはできないような「体験」があったあとに、「反戦」とか「民主主義」とか「自由」とか、いろんな言葉が出てくると思うんです。つまり、その核にあるのは、強烈な「体験」であるという。それは僕も、常々そうありたいと思っていることでもあるんですけれども、この映画全体を「反戦」として捉える人もいるだろうし、あるいはこれから起きるかもしれない戦争に対する「警告」の映画だと思う人もいるだろうし、小野田さんをここまで追い込んだ、日本の制度に対して訴えかける映画でもあるかもしれない。そうやって、まだまだいろんな感想がある映画だと思うんですよね。この映画を観て、まず僕が思ったのは、小野田さんの体験を、自分も体験するような映画だなっていうことなんです。3時間近くある映画を、ともかくあっという間に観てしまった。そのことの驚きというか、その体験の「こだま」が、今も自分の中で響いていて……そこが、この映画のいちばんの魅力なんだと思います。そうやって観る者に「体験」をさせるために、アルチュールのデリケートな演出があるという。

――多少はフランスを絡めてくるのかと思って観ていましたが、映画の中に、まったくフランス色が無いことにも驚きました。

イッセー:確かに、全然フランスは出てこないですよね(笑)。ただ、遠ければ遠いほど、近いものになるみたいなことってあると思っていて。遠いと思っていたからこそ、そこから見出したものに、ある種の普遍性を感じるというか。それは、この映画の中にも、きっとあると思うんです。

――この映画で描かれている、あるものを強烈に信じるがゆえに、それ以外の情報が見えなくなる、あるいは入ってきた情報を、すべてその信念を強化する形に歪めてしまうというのは、極めて普遍的なテーマかもしれないです。

イッセー:そうですね。小野田さんを説得するために、日本政府が小野田さんの父親を現地に連れていったりするけど、小野田さんからすれば、それはアメリカが画策した芝居に違いないと。そうやって自分の信念から類推すると、これは嘘の出来事であるという。

――まさに、今日で言うところのフェイクニュースや陰謀論のような。

イッセー:そうです。小野田さんは、いろんなフェイクと戦っているわけですよね。そして最後は、そうやって戦っていること自体がフェイクだったことを、突き付けられてしまう。そのとき何を信じればいいのか、信じられるのは目の前にある現実のジャングルだけ。じゃあ、ジャングルになろうといって、小野田さんは最後、ジャングルと一体化していって……信じることの帰結が、そこにあるというのは、やはり胸を打ちますよね。

――イッセーさんは完成した本作を観たあと、どんな感想を持ちましたか?

イッセー:先ほど「体験」という話をしましたけど、この映画を観ながら、コロナ禍の状況を考えてしまいましたね。映画を撮ったのは、コロナ禍になる前だったんですけど、それから2年ちょっとで、世界中がこういう状況になってしまった。とにかく三密は避けるとか、クラスターがどうこうとかで、なるべく人と会わないようにして、ずっと家にこもっていると、いろいろなものが分断されて、だんだんと孤立していく……もちろん、程度の違いはありますけど、まさに、この小野田さんが、ルバング島で感じたであろう状況に近いような感じになっていて。

――どれが真実なのかわからない、錯綜する情報というのも、似ていますよね。

イッセー:それだけに、この映画で起こっていることが、ある種普遍的なことのように感じられるというか。こういうことが起きると、人は分断されるし、孤立する。それは、この長い歴史の中で、繰り返し繰り返し、人間に訴えかけられてきたものなんでしょうね。そういう意味で、この映画を観ると、どうしてもコロナ禍の自分、限定された状況における自分と対面するというか……そういう解釈になっちゃいますよね。

――まさか、そうなるとは思わないで作った映画だとは思いますが、今のタイミングで観ると、どうしてもそこに重ね合わせてしまいますよね。

イッセー:我が身を映す鏡のような気もしますよね。そういう意味で、僕はこの映画のラストシーンーー小野田さんが最後、ヘリコプターに乗って、上空からルバング島を見つめるシーンが、すごく印象に残っていて。あのシーンは、いろんなことを想像させるんです。「俺の30年は何だったんだろう」とか「あのジャングルは、もう俺とは関係ないのか」とか。あるいは「これから向かう日本は、一体どうなっているんだろう」とか、いろんな思いが錯綜して。もちろん、そこに答えはないんですけど、あのシーンっていうのは、小野田さんにとって、信じるものが何も無い瞬間なんですよね。

――30年間信じていたものが覆されて、信じるものが突如無くなってしまった状態というか。

イッセー:そういうエアポケットみたいな状況にあるというか。もちろん、日本に帰ったら、またいろんなことを信じていくんでしょうけど、あの瞬間っていうのは、信じるものが無くなってしまった瞬間であって。っていうところも含めて、アルチュールは、この話を映画にしたかったんだなって思いました。

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