『おかえりモネ』は救えなかった側の葛藤を描く 視聴者視点から震災を共有した作品に

『おかえりモネ』が描く“ある”葛藤

 現代を舞台にした『おかえりモネ』(NHK総合)は救えなかった側の苦悩を描いている。東北を襲った大震災から10年。震災の余波は今なお多くの人々の生活に影を落としている。そうした中で、「NHK東日本大震災プロジェクト・未来へ 17アクション」の一環として制作された『おかえりモネ』は、これまでにない視点から震災後の現在に光を当てる。

 通常、ドラマは困難を乗り越える姿を描くものだ。震災を主題にした作品であれば、未曽有の災害に直面した主人公が、絶望のどん底から立ち上がる過程が主題になる。観る側はそこに生きる希望を見出し、勇気を得るというのが王道の展開だろう。『おかえりモネ』はこのパターンを踏襲していない。1995年生まれの主人公・永浦百音(清原果耶)は、震災による津波の被害を経験しておらず、被災地にあって災害を免れた側の人間として登場する。

 被災地を舞台にした作品で、震災を直接経験しないキャラクターを主人公に据えた理由は何だろうか? 百音の苦悩は、偶然その場にいることができなかったことによるが、同じ被災者でも、津波の恐怖を直に体験した同級生や妹の未知(蒔田彩珠)との間には目に見えない壁があった。かつてない震災という負の経験がもたらした亀裂は、百音の前に超えられない深淵となって現れる。顔見知りばかりの島で百音は疎外感を感じ、「誰かの役に立ちたい」と切望するようになる。それは誰の役にも立てなかったという後ろめたさの裏返しであり、百音が自分自身にかけた呪いでもあった。

 百音の葛藤は島を離れることでいったん解放され、気象予報士という道を見出すのだが、救えなかった側の苦悩というモチーフは折に触れて繰り返される。第8週「それでも海は」では、百音の同級生である及川亮(永瀬廉)の父・新次(浅野忠信)が、震災以降、海に出なくなった理由が明かされる。幸せだった及川家を突如襲った震災。漁で沖に出ていた新次は助かったが、妻の美波(坂井真紀)は逃げ遅れてしまう。仮設住宅で酒浸りになって暴れる新次は、被災者であると同時に助かってしまった側であり、妻を救うことができなかった悔恨に苛まれていた。

 気象予報士の朝岡(西島秀俊)、医師の菅波(坂口健太郎)も同じように救えなかった鬱屈を抱えていた。朝岡は、記録的な大雨が降った石音町の住人に自宅待機を呼びかけるが、その直後、土石流によって集落は埋まり、多くの住民が亡くなるという経験をしていた。菅波はホルン奏者の宮田(石井正則)の希望を容れて手術を行い、結果的に演奏家生命を絶ってしまった過去があった。菅波が百音に向かって「あなたのおかげという言葉は麻薬」とたしなめた陰には、医師として冷静な判断ができなかったことを悔いる気持ちがあった。

 他人を助けることの難しさをこれほど強調する背景には、脚本を手がける安達奈緒子の人間観も関係している。安達は「舞台となる土地は、やさしさだけではどうすることもできない痛みを抱えていて、訪問者であるわたしがそれを真に理解することはできません。他者の痛みは肉親でも友人でも恋人同士でも共有することはできない」と語っている(参照:「清原果耶、第104作目朝ドラ『おかえりモネ』ヒロインに 脚本は『透明なゆりかご』安達奈緒子」)。当事者が本心を言葉にし、作品として昇華するのに10年という時間はあまりにも短すぎる。震災から5年経っても、新次が美波を過去の思い出にできなかったのも当然のことだ。創作は想像によって補われるものだが、震災を直接経験していない人間が被災地を描こうとすれば、そこには何らかの嘘が混じってしまうだろう。

 しかし、わかることはできなくても、わかろうとすることはできる。理解し、助けようとする心の動きは誰もが持ちうるものだ。『おかえりモネ』は、助かってしまった側の視点から震災を描くことで、私たちに何ができるかを問いかける。それは、視聴者の側から震災とそれにまつわるエピソードを再構成することでもある。ある意味、非常にラディカルな構造であり、物語の座標軸を転換することで、震災を私たち自身の経験として共有しているのだ。



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