『おかえりモネ』には私たちの“理想”が詰まっている 生身の人間を描く安達奈緒子脚本の妙

『おかえりモネ』安達奈緒子脚本の妙

 連続テレビ小説『おかえりモネ』(NHK総合)が新たな旅立ちの時を迎えようとしている。宮城県気仙沼湾沖の離島・亀島で生まれ育ち、「海」と共に生きてきた清原果耶演じるヒロイン・百音が、登米の森林組合に就職することで「山」について学んだところまでが、登米編・回想メインの気仙沼編と交互に描かれる第9週までだった。

 さらには「空」を学び、気象予報士となり上京する第10週以降の東京編が描かれた。百音の物語は全て「水」で紐づけられていて、彼女の下宿先である、「汐見湯」という、人の行き交う銭湯において繰り広げられる、登場人物たちの様々な感情のうねりを見つめ続けることが心地よかった。だが、いよいよ彼女は、タイトル通り、地元である島に帰ろうとしている。

 地方都市で生まれ育ち、何かやりたいことを見つけ、上京あるいは大阪に出て夢を叶え成功/結婚するパターンが本来のスタンダードである朝ドラヒロインの流れからすると、登米編までがヒロインの準備期間であり、全国放送の中継キャスターになって活躍する、未知(蒔田彩珠)の言葉を借りれば「東京でテレビに出てる人」になることこそが彼女の人生における頂点になりかねないが、「地元に貢献する」ことこそが目標である百音にとっては、登米編も東京編も、全てはここに至るまでの準備期間だった。

 ここにきて百音の元に「音楽」が戻ってきた。第95話、菅波(坂口健太郎)の過去の鍵を握る人物、元ホルン奏者で患者の宮田(石井正則)の演奏を聞いた時である。彼の演奏を、椅子を並べて聴き入る菅波、百音の2人は、それぞれの思いを抱いて聴いている。あるいは、彼らのことだから、かつて聞いた互いの心の傷を想像したりもしたかもしれない。

 菅波の宮田へのやりきれない思い。百音が、音楽に夢中だったために東日本大震災の当時、島にいれなかったという負い目によって、「音楽なんて何の役にも立たない」とその思いを封印した時の張りつめた表情と、それに対する、彼女が音楽に夢中だった頃の無邪気な笑顔が再度呈示される。その時、夕暮れの海の光景が挿入される。波は穏やかに、寄せては返すことを繰り返す。その後、宮田が帰り無人となった空間を前に「音楽って、こんなにも背中を押してくれるものなんですね」と百音は言う。長い期間音楽を遠ざけていた彼女の心の中に、すっと音楽が沁み込んだのだろう瞬間だった。

 本作は、その登場人物の心に何かが染み入る、腑に落ちる瞬間を丁寧に描く。その感情の流れはまるで、「穏やかに寄せては返す波」に似ている。1週間ごとに描かれるテーマがある朝ドラにおいて、週の終わりが一応の解決となるわけだが、人間はそう簡単に変われない。浮上した問題は一応週の終わりの金曜日に、ある程度解決するが、気づいたら燻っていた思いはまた再燃し繰り返される。それはそうだ。それぞれがこのドラマにおいて描かれる時期よりも前から抱いている感情は、そう簡単に納まりがつくわけがない。だから第15週「百音と未知」の週に描かれた姉妹の問題の完全な解決回は、第19週第94話であり、第13週で描かれた宮田に関する菅波の過去の物語が、第19週になって突然浮上したりもした。

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