『デニス・ホー』は「あなたはどう生きたいか」と問いかける 損得勘定を超えたその信念

『デニス・ホー』が観客に問いかけるもの

 6月4日の香港では毎年、天安門事件の追悼集会が行われる。

 しかし、今年は例外となってしまった。2019年の逃亡犯条例の改正をきっかけにした大規模デモの勃発、2020年の国家安全維持法の施行、結果としてデモは鎮圧され、香港から急速に自由が失われていき、ジャーナリストや民主運動家が多数逮捕され、追悼集会が開催される予定だった公園は警察によって封鎖されてしまった。

 今年が「例外」であればまだ良いかもしれない。しかし、来年以降、これが「当たり前」となってしまうかもしれない。香港から表現の自由は失われたのだろうか。

 しかし、この映画を観ると、まだあきらめてはいけないのだと思わされる。

 デモには多くの若者が参加したことが日本でも多数報じられた。ドキュメンタリー映画『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』の主人公、デニス・ホーもそんな香港デモに身を投じた一人だ。彼女は、香港を代表するポップスターであり、中国本土でも大きな知名度を持つ存在だ。表立って中国政府を批判すれば、どうなるのかはわかっていたはずだ。それでも、彼女は自由を守るために戦うことを止めなかった。本作は、そんな彼女の、損得勘定に左右されない、驚くべき高潔な内発性に迫り、彼女の生き方を通して、観客に「あなたはどう生きたいのか」と問いかける作品だ。

香港を代表するスター、デニス・ホー

 デニス・ホーは1977年生まれ、青春時代をモントリオールで過ごした彼女は、80年代を一世風靡したスター、アニタ・ムイに憧れて歌手を目指すようになった。香港に戻り、コンテストへ出場、アニタの弟子となり、2001年にはソロデビューを飾った。

 デビュー当時から数々の音楽賞を受賞し、一気にトップスターの地位に上り詰めた彼女は、2003年に惜しまれつつ亡くなったアニタ・ムイの後継者として香港ポップミュージック界の中心的存在となっていく。

 デニスは当時を振り返り、「あの頃は政治に無関心だった」と言う。しかし、徐々に社会問題を題材にした曲作りを志向するようになり、積極的に社会活動にも参加するようになっていく。2012年には同性愛者であることをカミングアウトし、香港ゲイコミュニティでも中心的な存在となる。

 そして2014年、選挙制度の改悪を巡る大規模デモ「雨傘運動」に参加。デニスは、一個人として学生らとともにデモに参加した。最前線で衝突を回避すべく、警官隊を粘り強く説得し、座り込みも行った。その結果、彼女は逮捕され、中国本土での活動を禁じられ、全収入の90%近くを失うこととなる。

デニスの損得勘定を超えた内発性

 デモに参加すればどうなるか、デニスにはわかっていた。わかっていても、彼女は行動することを止めなかった。スポンサーも撤退し、コンサート規模を大幅に縮小することを余儀なくされた。それでも、彼女に後悔はない。

 なぜなら、彼女は損得勘定を超えた信念で行動しているからだ。

 人にはそれぞれ社会の中で立場がある。会社員だったり、政治家だったり、与党支持者だったり野党支持者だったり、人気スターだったりする。大抵の人間は自分の立場から言えることだけを言う。時には自分の立場に有利になるようなポジショントークを無意識にしてしまう。

 いつの間にか、我々の社会はだれもが立場にかかわる利害関係を考慮する発言ばかりになってしまった。

 しかし、デニス・ホーはそんな立場の利害関係よりも自由を尊ぶ信念を人として選んでいる。生き残りや損得勘定を考えれば、中国に逆らうことは全く非合理的なことが明らかにもかかわらず、デニスをはじめ、多くの香港人が戦う道を選んでいるという事実は、ポジショントークがはびこる日本社会に生きる我々にとって鮮烈だ。

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