テルヲは 『おちょやん』に何を残したのか 千代にとって“芝居”が意味するもの

テルヲは 『おちょやん』に何を残したのか 千代にとって“芝居”が意味するもの

 毎朝、泣き笑いの人生劇場を届けてくれる連続テレビ小説『おちょやん』(NHK総合)。先週放送の第15週「うちは幸せになんで」では、千代(杉咲花)の父・テルヲ(トータス松本)の凄まじい最期が描かれたが、この「テルヲ完結篇」は『おちょやん』が始まって以来、最も視聴者の心をざわつかせたエピソードではないだろうか。

 第1話の登場から第75話の退場まで、テルヲは絶えずダメ男だった。「うちは捨てられたんやない。うちがあんたらを捨てたんや」という、9歳の女の子が口にするには壮絶すぎる言葉を残して千代が南河内を出てから、テルヲは3回、千代の前に現れている。断ち切っても断ち切ってもしぶとく“親子の縁”を手繰り寄せては娘にまとわりつくその姿は、まるでゾンビだった。それでも毎度、心の隅でほのかに期待してしまう千代の心情につけこみ、何度も搾取と裏切りをくり返してきたクズ親父。それなのに、なぜだろう。そのテルヲの死に様が今、ものすごく胸を抉ってくる。

 「今さらどのツラ下げてここへ来た?」の3回目、最後に千代の前に現れたテルヲは、病に蝕まれ余命いくばくもない状態だった。「最後に親父のまねごとしてみたなっただけや」と言いながら、余計な口出しをして千代の邪魔ばかりする。すでに千代と夫婦になっている一平(成田凌)に「お前に千代は渡さへん」と凄む。相変わらず言動が滅茶苦茶だ。かと思えば、千代の周りの人たちすべてに「千代をたのんます」と頭を下げて回る。

 こうしたいかにもテルヲらしい言動が悲しい。不器用を通り越して、きわめて動物的な、まるで死期を悟った野良犬が最後に世話になった人間の足をチロッと舐めにきたような姿。長いこと風呂に入っていないうえ、末期の肝臓の病のせいもあるのか、悪臭を放つ身体(という描写が何度もあった)、青黒い唇からこぼれる吐血。死に近づけば近づくほど、このアホ男の鮮烈な「生」が伝わってきて悲しい。

 『おちょやん』という物語が貫いてきた、「作り手が登場人物を裁かない」「正義/悪という二元論で断じない」という姿勢は、もちろんテルヲについても一貫していた。だから、見る人の数だけ感じ方の違いがあるのだろう。

 徹底して貫かれる「裁かない」「断じない」姿勢は、作り手の登場人物に対する、そして視聴者、物語そのもの、人間そのものに対する敬意だ。作り手のこの視点が根底にあるから、『おちょやん』という物語の中で生きる千代が、テルヲとの最後の対峙にどのような結論を出すのか、他の登場人物も視聴者も、全員がただ「見守った」。シズ(篠原涼子)も宗助(名倉潤)も一平も千之助(星田英利)も、起こった事実、聞いた事実を千代に伝えるだけで、誰も「許せ」とも「許すな」とも、「親子なんやから」とも「縁を切れ」とも言わずに、ただ千代が後悔しない選択をするように、見守った。

 ずっと「あいつとは赤の他人」「許すことはあれへん」と言い続けてきた千代だったが、テルヲにはもう時間がない。悩み苦しみ抜いて、千代は留置所にいるテルヲに面会しにいく。テルヲによって幸せも自由も夢も、そして唯一の心の支えであった最愛の弟・ヨシヲ(倉悠貴)さえも奪われたことへの怒り、悲しみ、諦めを通り越し、「冷たい、干からびたものしか残ってへん」胸の内をぶちまけた。「うちはあんたを許すことなんて絶対にでけへん」、けれど「お母ちゃんだけは許してくれるかもわかれへん」とテルヲに告げた千代。もはや「許す/許さない」の問題に千代自身が答えを出すのは無理だ。だからお母ちゃんに委ねた。それでいい。「許してくれる」ではなく、「くれるかもわかれへん」というところがいい。サエが実際にテルヲを許すかどうかは、千代も、もちろん他の誰も、知る由もない。だが、この言葉でテルヲに一握りの希望を与えることはできる。

「どないえげつない手ぇ使てでも、うちにもっぺん笑て『お父ちゃん』て呼ばしてみ。しっかりせえ!」

 千代の啖呵は、もうすぐあの世へ行くテルヲへの餞だ。そして、血反吐を吐きながら檻の中で事切れるテルヲに差し向けられた月の光と、幼き千代と大人になった千代の幻影は、この物語の作り手からの餞だったのではないだろうか。「許す/許さない」を超越した「見送り」であり、「鎮魂の儀」だ。

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