『ヘレディタリー/継承』が愛され続ける理由とは 短編から探るアリ・アスターの作家性

アリ・アスターの作家性を読み解く

 そして演出について。昨今ホラー映画はびっくりさせる演出という意味合いを持つジャンプスケアに頼りがちな傾向がある。それは時に恐怖にチープさを与えてしまうのだが、本作はそれがない。しっかりと映すものは映し、映さないものは映さない。観客がじっとスクリーンを見ていると、ふとその隅に何かがいたことに気付く。しかし、それは大きな音を出して登場したりはしない。その、観客が己で見つけてしまった瞬間が一番怖いのだ。こういった演出ができるのは、やはりアスター監督がこれまでにたくさんのホラー映画を鑑賞してきた知識の賜物だと思う。そんな恐怖演出は、ビジュアル面にも落とし込まれていた。

 本作にはいくつもトラウマになってしまうようなイメージが登場する。死んだ妹の首(ありったけの蟻付き)、全焼死体となった父親、こちらをガン見しながら首をノコギリで切り落とす母親……。私自身、試写室で観た時はあまりのショックさに、しばらくの間立ち直れなかったほどだ。アスター監督は、どの監督もそうするように、これまでに彼が観てきた映画の中で忘れられないイメージを自身の映画作りの参考にしている。彼にとって忘れられない作品は『キャリー』、そしてビジュアル面で強い印象を受けたピーター・グリーナウェイ監督作『コックと泥棒、その妻と愛人』などがある。そういった自身を震え上がらせたようなイメージをもって、観客を怖がらせ、トラウマを植え付けることを彼は嬉々として楽しんでいるのだ。アスターはグリーナウェイのことを「pure evil person(純粋に邪悪な人)」と言って讃えていたが、鏡を見ながら同じことを言ってほしい。

 最後に挙げたカタルシスは、このトラウマというものが大きく関わってくる。基本的に彼はこれまでの監督作品の脚本を全て、自身で書いている。そしてそれらは彼が日常で心をざわつかせたものがインスピレーションとなっている。つまり、彼自身が恐れるもの。ホラー作品で親しまれる作家スティーヴン・キングもまた、自身の恐怖について書くことを一種のセラピーのように捉えていると語っていたが、アスターもまた、それを描くことで浄化をしている可能性がある。ホラー分野で成功している人は、まさにこの日常の恐怖を主題にする傾向がある。なぜなら、それは誰にとっても共感できるものだから。『ヘレディタリー』に登場する悪魔崇拝的なスーパーナチュラルなものは、誰にとっても共感できるものではない。しかし、これが家族崩壊、不気味な家という普遍的なテーマを持った作品だったからこそ、登場人物の感じた恐怖はそのまま我々の感じる恐怖となる。

 アスター監督はラストのカタルシスをものすごく大事にするタイプの監督で、そこに至るまでの映画の流れを緻密に計算している。語るべきキャラクターと物語、そして先に述べたイメージも含めて、彼は本当に“何が撮りたいのかわかっている”。そうして作られた『ヘレディタリー』は、彼の作家性の基盤とも言える「家族」をテーマにした、長編1作目にしてホラー映画のマスターピースとなったのだ。

 これまでに述べた3つのポイント、クラフトマンシップと演出、そしてカタルシスは本作がヒットした大きな要素だ。しかし、改めて考えてみると、なぜA24というインディペンデントな制作会社から生まれたインディホラーが、世界興行収入$81,263,489(約84億)という優秀な成績を収められたのか。本来なら、こういったホラーは人気が出ても“カルト的人気”にとどまるはずなのに。恐らくそれは、アスター監督がインディ作品ならではの作り込んだキャラクターと物語のディテールに、しっかりホラー映画としても怖がれるシーンを盛り込むという、メインストリームを満足させられる作り方をしたからではないだろうか。自分のやりたいことをやった上で、大衆を満足させられるなんて、創作者の鑑だ!

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