『若草物語』に『ミッドサマー』も 話題作への出演続くフローレンス・ピューの“陰と陽”の魅力

話題作続々出演、フローレンス・ピューの魅力

太陽と月を併せ持つデビュー

 処女作にはその作家のすべてが詰まっているといわれるが、それは俳優という職業にも当てはまるようだ。フローレンス・ピューのデビュー作『The Falling(原題)』(キャロル・モーリー監督/2016年・日本未公開)には、この女優が進むであろう輝かしい未来の伸びしろの多くがすでに見出せる。女子校で起こるオカルト現象を扱った『The Falling』において、フローレンス・ピューはその大胆さと繊細さを常に行き来する不安定な魅力を振りまく少女アビゲイルを鮮やかに演じている。アビゲイルは冒頭30分で画面からほぼいなくなってしまうにも関わらず、観客は体感的に常にアビゲイルの気配を感じてしまう。アビゲイルが常に画面に降霊しているという点が、この作品の恐ろしいところであり、キャロル・モーリーの演出上の狙いでもある。

『ミッドサマー』(c)2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.

 まず驚かされるのは、このデビュー作におけるフローレンス・ピューの顔への光の当て方、被写体としての光の当たり方だ。ジャン・リュック=ゴダールの作品を始め、ヌーヴェルヴァーグの撮影監督として名高いラウール・クタールが言うように、「光を集めてしまう顔」というのは、ごくごく稀に発見される。フローレンス・ピューの顔はまさにそれに当て嵌まるようだ。このことにとても敏感なキャロル・モーリーは、クローズアップを多用することで、肌の在り方そのものを画面に焼き付け、見る者の瞳の中にアビゲイルの残像を残していく。光を集めてしまうフローレンス・ピューが後年、まさに光による恐怖を描いた『ミッドサマー』のヒロインを務めたことは、極めて運命的なことのように思える。フローレンス・ピューの場合、この光の当たり方が月にも太陽にもなり、その陰と陽を自在に反転させてしまえる速度が、この女優を特異な存在にしている。

『マクベス夫人』の衝撃

 フローレンス・ピューが最初に決定的な評価を受けることになる次作『マクベス夫人』(ウィリアム・オールドロイド監督/2016年・京都ヒストリカ国際映画祭で上映)では、陰と陽を反転させる光の速度は、むしろその強度を確かにする段階へ移っている。全編を通して劇伴が最小限に抑えられた本作では、屋敷の空間に響く人の声や物音、人と人の接触音をクリアに録音することに、とてつもない神経が注がれている。たとえば後に不倫関係となる使用人との言い争いで、マクベス夫人が使用人の指を咬んでしまう「コリッ!」という音が過剰なほどクリアに録音されており、この指を咬む音が、危険なまでにエロティックな音だということが、物語の伏線上で分かるように設計されている。いわば物音が全編のサウンドトラックになっているといって過言ではないのだ。殺害のシーンにおいても、固定されたカメラは殺害の行為と物音だけを人物の背後から記録する。『マクベス夫人』は、こういった鋭利な演出を含む傑作であり、ジョン・ウォーターズはこの作品を年間ベストの8位に選んでいる。

 この作品で、マクベス夫人は大きな目を見開き、自分を大きく見せながら、大きな嘘をつく。フローレンス・ピューは持ち前の大胆さでそれを表現しながら、瞳の奥で怯える。このシーンで重要なのは、マクベス夫人が一世一代の嘘をついていることを観客はすでに知っているという点であり、自信に満ち溢れた尊大な冷酷さと罪悪感による怯えを同時に表象してしまえる、いわば「太陽」と「月」を同時に画面に提示してしまえるフローレンス・ピューには技術というよりも才能という言葉こそがふさわしい。話されている言葉の奥を、話者の瞳の奥から観客に読ませるという、映画の持つ原始的且つ、パワフルな表現に成功している。同じく『マクベス夫人』で興味を引くのは、フローレンス・ピューのまだ短いキャリアの中で何度も反復されている行為がここで初めて披露されることだ。マクベス夫人がドレスの背中の紐をメイドにきつく締められる官能的なシーンである。この行為はザック・ブラフの作品で繰り返され、グレタ・ガーウィグの作品で、ティモシー・シャラメによってその紐が緩やかに解かれる。こうした個々の作品単位ではなく、フィルモグラフィーを通した繋がりが生まれるのは、ほとんど運命的なことに思える。

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