『神様になった日』の“原点回帰”は何を示す? 麻枝准×P.A.WORKSの総決算としての真価を探る
麻枝准の集大成となる作品が生まれようとしている予感がある。
『AIR』『CLANNAD』を生み出してきた稀代のシナリオライター、麻枝准がP.A.WORKSと共にオリジナルアニメを制作した、というだけでもワクワクするアニメファンは多いだろう。今をときめくLiSAの出世作となった『Angel Beats!』などを発表してきた脚本家とスタジオが再びタッグを組んだのだ。今回はオリジナルテレビアニメ『神様になった日』の魅力を探るとともに、今作が示した麻枝准らしさについて考えていきたい。
舞台は山梨県山梨市。高校3年生の夏休みを迎えた成神陽太は、自らを神と名乗る少女、佐藤ひなと出会う。「30日後にこの世界は終わる」と告げるひなの言葉に、あっけにとられながらも、彼女と一緒に行動する。晴天にも関わらずひなが傘を買うと突然雨が降り出し、突発的な事故によるバスの渋滞を見抜く。まるで未来を予知するような言動のひなと、世界終末までの物語が始まる。
本作の魅力としては、まずキャラクター性とコメディ要素をあげたい。今作は映像より先に声優のアフレコを行い、それに合わせて作画をしていくプレスコ方式で制作されており、声優たちの掛け合いの軽妙さが心地いい。第1話から自称神様なのに佐藤ひなという平凡な名前であることをネタにし、さらに成神陽太、ヒロインの伊座並杏子の、自分より神々しい苗字であることに対して憤りをぶつける姿は愛らしくて笑いを誘う。
特に第4話の麻雀回では、ルールを全く知らない陽太が繰り広げる「二色同順」、「途中まで通貫」などの存在しない手を使って上がる姿は、麻雀のルールを知っているとあまりにも滅茶苦茶なやり方に腹を抱えて笑ったものだ。
そして麻枝准といえば泣きゲーの第一人者として知られているが、本作もその魅力も備えている。特に“死”と“家族”は多くの作品で扱っている要素だが、今作では第5話においてその魅力を打ち出してきた。妻が亡くなり喪失感を抱えている父と、立ち直らせたい伊座並杏子のやりとりや、そして母が最期に残したメッセージに、多くの視聴者が涙を誘われたのではないだろうか。
また、音楽についても触れておきたい。麻枝准は多くの作品において作詞・作曲を手掛ける多才ぶりを発揮しているが、今作もまた同様だ。OPの「君という神話」とEDの「Goodbye Seven Seas」の2作ともに作詞、作曲を手掛けている。それらが音楽として優れていることもさることながら、今後訪れるかもしれないひなと陽太の別れを示唆している。「君という神話」の歌詞からはひな目線、「Goodbye Seven Seas」からは陽太目線のように受け取れる。物語とマッチしたOPとEDということで、アニソンとしても高く評価したい。
さて、冒頭で“麻枝准の総決算になる予感”について触れたが、ここまででお気づきの方もいるだろうか。この作品は、あまりにも麻枝准らしさに溢れているのだ。例えば第1話の野球要素は麻枝作品ではお馴染みのものとして知られている。唐突なようにも思える麻雀回だが、麻枝は大の麻雀ファンとしても知られている。そして大学時代にバスケサークルにて活動していた実績を持つが、その経験が6話にも活かされている。
そして麻枝作品は『AIR』『CLANNAD』の影響もあり、ヒロインの闘病がストーリーの軸となっているイメージも根強いだろう。今作もひながロゴス症候群という大病に罹患していたということが明かされているほか、第9話においてはひなの死を暗示するようなシーンもあった。ただし、一方では第8話においてひなの父親がひなを認識していないのではないか? という物語の核心に迫りそうな陽太の推察をコミカルに外している。単純な物語にはしない方向性がここに現れているようにも感じる。