蒼井優が体現する“ギャップ”と闘う人間像 『スパイの妻』で発揮された、そのクラシカルな佇まい
デフォルメ化の破壊
その一方で、『リリイ・シュシュのすべて』に続く岩井俊二作品への出演となった『花とアリス』(2004年)では、蒼井優の演技が持つ、もう一つの側面が読み取れる。『花とアリス』は駅のホームで白い息を吐いて遊ぶ二人の少女(鈴木杏と蒼井優)を捉えた冒頭のショットから傑作だと確信できる作品で、ハイライトとして語り継がれる蒼井優のバレエシーンは、すべての感情を振り切った美しさに満ちている。有栖川徹子を演じる蒼井優は、突拍子のない動物性を演技の足し算として次々に加えていくことで、自信がないのか自信があるのか分からない少女の大胆さを表象する。結果として、それこそが少女のドキュメントを成立させる大きな要素になっており、当時の蒼井優が足し算の結果に対して、おそらく無防備だったところが、この作品の純度を一段と高めることに貢献している。
こうした蒼井優の足し算の演技は、『人のセックスを笑うな』(井口奈巳監督/2008年)において、応用される。ユリ(永作博美)とミルメ(松山ケンイチ)の恋人同士の笑いが、一回性の行為のかけがえのなさをドキュメントとして表わされていたように、井口監督による実験の狙いは、より役者をフレームという枠組みから開放させることにある。使える空間や演技そのものに、いつもより自由を与えられた蒼井優は、『花とアリス』の少女が見せた突拍子のなさを意識的に演技に加えていくかのように、映画に新たなリズムを加える人として動き回る。
『オーバー・フェンス』では、こういったリズムの加え方が、オダギリジョーの素晴らしい受けの演技との美しい調和を見せている。生きるということに対して何も変えたくなくなってしまった白岩(オダギリジョー)の持つリズムを、あれよあれよと相手の気づかないうちに変えてしまうヒロイン。ここでは自分のリズムが壊されることに心地よさを感じることが、すなわち恋になっていく。ヒロインの綱引きのジェスチュアで引き寄せられる恋人という、ミュージカルのようなシーンは、このことを極めて美しい形で描いている。
こうした蒼井優の演技が持つ自由は、あらかじめデフォルメ化されてしまった性格や感情と親和性があるように思わせつつ、その実、感情のデフォルメ化に抵抗するだけの動物的な瞬発力を合わせ持っている。『宮本から君へ』(真利子哲也/2019年)は、その意味で蒼井優の足し算の演技の代表作といえるだろう。こんな人は現実にいないだろうと思えるほど劇画的に振り切っていく本作での演技は、デフォルメ化された感情とそれに抵抗する動物的瞬発力によって、むしろ一人の女性の生々しさを帯びていく。蒼井優は、ウソ臭さの極北さえも真実に変えてしまったのだ。