『泣きたい私は猫をかぶる』は劇場で観たい一作 アニメを通した日本の女性像の最新版に

『泣き猫』は劇場で観たい一作

 Netflixにて配信されている『泣きたい私は猫をかぶる』が好評だ。劇場公開が予定されていたものの、コロナウイルス問題によってNetflixの配信に変更を決断した作品としても話題を集めている。劇場再開後も洋画や邦画は劇場公開されたものの、新作アニメ映画に関しては6月に1作も公開されなかったことを考えると、この判断も理にかなっていると言えるのではないだろうか。今回は配信形態の変更が話題となりがちな本作の魅力について迫っていきたい。

 今作は佐藤順一と柴山智隆が共同で監督を務めている。佐藤監督は女児向け作品で力を発揮してきており『メイプルタウン物語』『美少女戦士セーラームーン』や『おジャ魔女どれみ』『カレイドスター』など、80年代後半から多くの女児向けアニメで監督にあたるシリーズディレクターを務めている。おそらく、80年代後半以降に生まれた人たちは、女児向けアニメを通して知らず知らずに影響を受けているのではないだろうか。そのことを考えても、佐藤順一は女児向けアニメを通して日本の女児・女性像に多大な影響を与えた作家だといっても過言ではないだろう。

 今作も現代的な女性像の作品と言えるだろう。主人公のムゲは活発で独特な世界観を持つ少女である一方で、相手役の日之出は大人しくて聡明な少年という描き方がされており、女の子は大人しく、などの旧来のジェンダー像とは異なる作品となっている。同時に本作の“猫をかぶる”というタイトルと共通することであるが、学校や家族との関係性を良好に維持するために自分の本音を隠し、仮面を被ってしまう心理を捉えている。辛いことが起きたら「猫になって自由に暮らしたい」と想像するのはよくある話だが、ムゲの思いに共感する人もいるのではないだろうか。今の若者たちを描こうと意図を感じながらも、同時に仮面をかぶる、自分を演じるという世代を問わない普遍的な日本人の癖を捉えており、多くの世代に響くメッセージが込められている。

 また、脚本を務めた岡田麿里の作家性も見逃せない。『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。』など、多くの作品で子どもを主人公としながらも親との確執を捉えてきた脚本家だ。今作でもその要素が描かれており、ムゲと父の恋人であり再婚を考えている薫との関係性や、実の母への複雑な思い、日之出の将来や稼業に対する悩みなどを描いている。複雑な家庭環境の中で、親や現実世界へイライラしてしまう子どもであるムゲの目線で物語は進むものの、ネコの世界では子どもの元からいなくなってしまう母の視点も代弁されている。ムゲと日之出という男女の目線、ムゲと母という親子の目線、ムゲと猫の視線、また周囲の友人や薫の飼い猫であるキナコの目線など、多くの人の目線が描かれており、それを知ることでムゲは成長していく。

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