『泣きたい私は猫をかぶる』は劇場で観たい一作 アニメを通した日本の女性像の最新版に

『泣き猫』は劇場で観たい一作

 映像表現にも着目すると、ムゲが猫の太郎に変身した後の動きが特に印象に残った。今作の難しいポイントとしては、太郎はただの猫ではなく、ムゲが変身した猫の姿という点が重要だ。太郎の動きはムゲの感情を反映したものでもあるため、単なるリアルな猫の動きをすればいいというものではない。それでいながらも極端なデフォルメや漫画的な記号表現などの方向性の描き方はされず、リアルでありながらも感情が伝わる猫の演技というレベルの高い作画が要求されているが、今作ではその点において違和感が生じないだろう。今作では猫のモーションデザインを担当した横田匡史の手によって、感情表現のみならず、それぞれの猫の歩き方が異なるなどの工夫を重ねられている。

 その動きの魅力が特に大きく伝わったのはスタートから15分ほどの、屋根に登る太郎がムゲに戻る一連のシーンだ。日之出に可愛がられて町の中を嬉しそうに動き回る太郎からは、大好きな人に愛されてうかれている人間らしい様子が伝わってくる。また屋根で仮面を落としかけ、それを拾いに走るムゲは四つん這いのように走り、まだ猫の状態が抜けきっていないことが伝わってくる。ほぼ全編にわたって動きによる感情表現もなされているため、観ていて飽きることがないのではないだろうか。

 また、物語全体のメリハリの付け方も見事だ。ムゲはとても活発な女の子であり、クラスの中でも独特な立ち位置にいることが明らかになるのだが、観客目線としても少し落ち着きがなさすぎて、そのままのテンションでいたら疲れてしまいかねない。そこで日之出の目線が入ることで物語が一気に落ち着くと共に、ムゲの様子と太郎の様子も観客に伝えることができる。そして上記の屋根のシーンに入ることで、物語の序盤が終わりを告げるのだが、この作りと映像表現には唸ってしまったほどだった。

 終盤では猫の世界が中心となるのだが、ここでは独特な町の様子や我々の知る猫の生活とは違う姿が観ていて楽しかったものの、それまで紡いできた家族や人間世界での物語が途切れてしまったような感覚があったのが少し残念だったが、全体としてはとてもいい作品だった。ただ、動きや音楽に力を入れている作品なだけに、劇場の大きなスクリーンで観た際に最も力を発揮する作品であるようにも感じられた。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う様々な問題もあり、Netflixでの配信となっているが、家庭のディスプレイや音響ではなく特別な環境である映画館で観れば、もっと感動したのではないだろうか。視聴環境の差も大きな評価の軸になるために、落ち着いたタイミングでの映画館での公開をぜひ望みたい。

■井中カエル
ブロガー・ライター。映画・アニメを中心に論じるブログ「物語る亀」を運営中。
@monogatarukame

■配信情報
『泣きたい私は猫をかぶる』
Netflixにて、全世界独占配信中
出演:志田未来、花江夏樹、小木博明、山寺宏一
監督:佐藤順一・柴山智隆
脚本:岡田麿里
主題歌:『花に亡霊』ヨルシカ(ユニバーサルJ)
企画:ツインエンジン
制作:スタジオコロリド
製作:「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
(c) 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
公式サイト:nakineko-movie.com
公式Twitter:@nakineko_movie
公式Instagram:@nakineko_movie

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