『野ブタ。をプロデュース』が15年ぶりに再放送された意義 色褪せない普遍性を考える

 間もなく最終回を迎える『野ブタ。をプロデュース』特別編(日本テレビ系)。15年前に放送されていた本作は、人気者を演じる高校生・桐谷修二(亀梨和也)と、正反対のタイプで変わり者のクラスメイト・草野彰(山下智久)が、いじめられっ子の転校生・小谷信子(堀北真希)、通称“野ブタ”を陰でプロデュースし、人気者に仕立てようと画策する学園ドラマ。10代ならではの鬱屈とした想いや、今では「スクールカースト」という言葉で表現される狭い狭いコミュニティー内での逃れられない立ち位置、残酷なまでの棲み分けなど、青春時代特有の息苦しさ、必死さ、無敵感、熱狂そんなものが全部詰まった作品だ。

 奇しくもコロナ禍よって休校が続き、バイトも休み、友達にも会えない日々の中、始まった本作の再放送。社会人もリモートワークに切り替わったり、出社人数の制限がかかったりと、これまでよりも圧倒的に他者に会う機会が一気に減ったタイミング。皆が、普段通っていた場所やコミュニティーと否応なしにも距離を置かざるを得ない時期だったからこそ、本作のように有無を言わさず逃れられない所属先があり、その中で揉まれながらもそれぞれの立場で成長し変化していく物語を客観的に観ることができた視聴者も多かったのではないだろうか。

 集団ゆえに発生する衝突や煩わしさは避けられないものの、だからこそ不可抗力で自身の変化を促される機会に良くも悪くもありつける、とも言える。1人で過ごしていてはぶつかり合いもないものの、代わり映えのない日常が続いていくだけで、感情が揺さぶられることもあまりない。文化祭シーンで教頭のキャサリン(夏木マリ)が言う「意味のないことに夢中になれる」こともなければ、彰が信子に言う「何年かしたらあの頃は楽しかったよーんって思い出すのかな」というような時間にはなかなかなり得ないだろう。

 また一方で、世間体重視だった修二が信子と彰との触れ合いを通して「自分らしさ」に目を向けていく過程は、このコロナ禍で人や所属コミュニティーとの距離感が強制的に出来たからこそ、またこれまでの価値観が絶対ではないことが露呈した今だからこそ、“自分の人生”の優先順位と向き合わざるを得なかった我々の多くの姿と重なる。人が死ぬ前に後悔することとして上位に上がるのは「「自分に正直な人生を生きればよかった」ということらしい(『死ぬ瞬間の5つの後悔』ブロニー・ウェア著/新潮社刊)。このコロナ禍で、結果的に人目や常識などに惑わされず自分自身の本心と対話できるまたとない機会を持てたという人も少なくないのではないかと予想する。

 またそんなとき、信子の変化の方向性に励まされる人もいるのではないだろうか。人気者にはなりたい、自分を変えたいが、“無理して全く違う自分に生まれ変わる”のではない。少し勇気を出して背伸びはしてみるけれども、その変化後の自分のことも自身が好きでいられるような方向にしか信子は進まない。蒼井(柊瑠美)にあれこれ提案を受け一度は実践してみるものの、無理している自分が好きになれないときちんと自ら変化のベクトルを選択している。変化しながらも、自分の根幹に関わる価値観はブラさずに貫き、それが結果的に周囲に認められていく様子は、我々の希望にもなる。反対に虚像の自分を受け入れられているという自覚のある修二にはさぞかし眩しかったことだと思われる。自分の心の声に耳を澄ませ、外部からの意見にもきちんと耳を傾けるものの、自身の中で消化してから“他の誰でもない自分がなりたい自分に”なる。これが本来的な自己改革であり、一過性で終わらない本質的な自己プロデュースだろう。

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