『同期のサクラ』“1話1年”で進む展開が浮き彫りにする高畑充希の大胆さと繊細さ 「3つの夢」は無事に叶うのか

『同期のサクラ』高畑充希の大胆さと繊細さ

 高畑充希が主演を務めるドラマ『同期のサクラ』(日本テレビ系)。このドラマが異色なのは、まず主人公のサクラ(高畑充希)が寝たきりの状態から始まる点である。毎話、寝たきりのサクラに対して同期や先輩たちが病室にお見舞いに来て、それぞれのターニングポイントとなった出来事を回想し彼女に語りかける。そして彼ら全員がサクラによって「自分の今がある」と口々に感謝を伝えるのだ。

 さらにドラマ内でも東日本大震災が一つの象徴的な出来事として描かれ、“復興五輪”とも言われている東京オリンピック開催を目前に控えたこのタイミングに、ゼネコンを舞台に物語が展開される。自然災害の多い昨今において、どの世代にとっても忘れられない鮮烈な日として刻み込まれている“3.11”を意識させながら、回が進むごとに1年ずつ年月が経過し、ドラマの中の登場人物たちだけでなく視聴者それぞれにとっての「節目」をリアルに感じさせる仕立てになっている(人事部長の黒川(椎名桔平)が毎話デスクで読んでいるビジネス書が設定年のベストセラーである仕掛けにも密かに注目している)。

 こと今年2019年のドラマのラインナップとして『わたし、定時で帰ります。』(TBS系)、『これは経費で落ちません!』(NHK総合)など、真っ直ぐで忖度なしの主人公による企業内改革ドラマ、お仕事ドラマの人気作品が相次いだが、彼女たちも顔負けなのが本作『同期のサクラ』の主人公だと言えるだろう。

 サクラは空気も読めず、自分の気持ちに嘘もつけず、一見マイペースで周囲のリズムを乱し大人げないと思われがちかもしれない。しかし、実際のサクラは誰よりもよく周りの人間の得手不得手や感情の機微、ちょっとした変化に敏感である。繊細さや優しさを併せ持ちながらも、それをも上回る強い信念の下に行動を起こすサクラの姿に、周囲も知らず知らずのうちに影響を受け刺激され、魅了されていく。

 サクラの辞書には「ほどほど」「中庸」という言葉は存在しない。何事もバカがつくほどの正直者、筋の通らないことに目を瞑ることができず、自分には直接関係のないことであっても、同期の元気がない、仲間が不利益を被っているとあれば放ってはおけない。手加減なしに、時には社長相手に直談判しに行く。思わず本人が「なんでサクラがそこまでするわけ?」と呆れてしまうほどに。サクラにとっての「正しさ」はその時々の状況や、相手の顔色、自分が置かれた立場、相手との力関係などによって変わることなくハッキリとしていて揺るがない。そんなサクラを目にすると、皆は自分が大人になるにつれ「失わざるを得なかった」ものの存在に気づかされ、それを外部要因のせいにして「仕方がない」「これが大人になるということ」「会社で上手くやっていくにはこうするしかなかった」と言い訳するばかりだった自分自身や、それゆえ結局自身が嫌悪する上司や大人、社会と何ら変わらなかったことを否応なく突きつけられる。だからサクラのことが眩しく感じると同時に、自分の無力さ非凡さに対峙せざるを得ず鬱陶しくも感じるのだ。

 抑揚のない話し方や鋼のメンタルの強さからか、一見感情のない「ロボットヒロイン」的に見えるかもしれないサクラだが、実際は真反対。印象的だったのはサクラが相手に合わせて伝え方や向き合い方までよく考え抜いているシーンだ。誰にでもまずは正攻法で正面から語りかけるサクラだが、それで相手の本心を引き出せていないと悟るとそこからアプローチ法を変える。ウロウロと動き回るサクラに周囲が「どうしたの?」と聞くと「喉元まで伝えたいことが出かかっているが、上手く言葉にできない」と歯がゆそうにしていた様子も印象深い。

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