ジャスミンは父権社会に抗議するフェミニスト? 『アラジン』をプリンセスの変遷とともに考察

『アラジン』をプリンセスの変遷から考察

 ディズニー製プリンセスは“金の卵”だ。映画がヒットすれば、お弁当箱からハロウィンのコスチュームまであらゆるプリンセス・グッズが大金を生む。だからこそディズニーは、“女の子に応援される”プリンセスを生み続けなければいけない。

 ただ今公開中のガイ・リッチー監督作『アラジン』は、1992年に公開された同名タイトルのアニメーションをリメイクした実写版だが、プリンセスを始め脇役キャラクターから音楽まで、過去のディズニー・プリンセスのジェンダーロールがリブランディングされているのだ。今回は、過去のディズニー・プリンセスに見る処女信仰、人種ステレオタイプやシスターフッドの視点から実写版『アラジン』を考察してみよう。

大量生産されるようになったディズニー・プリンセス

 ディズニーのプリンセス映画は90年代初頭に入るまで定期的に制作されてこなかった。第1作目『白雪姫』(1937年)から第2作目の『シンデレラ』(1950年)までは13年も間が空いているし、第4作目の『リトル・マーメイド』(1989年)は、3作目の『眠れる森の美女』(1959年)から30年も経って制作された。

 しかし、『リトル・マーメイド』の大ヒット以降は、『美女と野獣』(1991年)、『アラジン』(1992年)、『ポカホンタス』(1995年)、『ムーラン』(1998年)、『プリンセスと魔法のキス』(2009年)、『塔の上のラプンツェル』(2010年)、『アナと雪の女王』(2013年)、『モアナと伝説の海』(2016年)、実写版『美女と野獣』(2017年)、実写版『アラジン』(2019年)と数年毎にプリンセス映画が生産されるように。

 Forbesは、ディズニーがプリンセス映画を大量生産するようになったのは、その利益性に気づいたからだろうと推測する。なんと、2001年から2012年におけるディズニーのコンシューマー・プロダクツ部門の売り上げは約300億円(1ドル=100円換算)から約3,000億円へと、飛躍的に上昇したというのだ。(※1)

「処女vs.非処女」女性を二極化してきた処女信仰

 こうして見ると、過去のディズニー・プリンセス作品のほとんどには“プリンセスと魔女”の2つの女性像が登場することに気がつく。若くか弱く美しいプリンセスが、継母や魔女に陥れられ、王子様から救出されるまで逆境に耐え続ける……。ここには、プリンセス=処女=善、魔女=非処女=悪という女性を二極化する社会的な“処女信仰”があらわれていると言ってもよいのでは?

 とはいえ、1992年のアニメ版『アラジン』のジャスミン以降、時代の流れとともにプリンセスはより自我が強く自立を求める女性へと進化していき、ついに、2013年の『アナと雪の女王』では、魔女であるエルサは“悪の権化”ではなく、善悪両方を兼ね備えたリアルな“若い女性”として描かれた。“プリンセス(処女)vs魔女(非処女)”の図式のなかで女性を対立させ、男性を解決法として介入させるのではなく、“シスターフッド(女同士の絆)”をロマンスよりも優先させて、女性が自分自身で問題を解決した点が非常に画期的だった。
 
 その上、空前の大ヒットとなった主題歌の「Let It Go」は日本語では「ありのままで」と訳されているが、英語では“自分が背負っているすべてを手放そう”というニュアンスに近く、“女性らしさ”というジェンダー・ロールに抑圧されたアイデンティティを手放そうという意味にも聞こえる。

 旧作と新作ともに『アラジン』にはディズニー伝統の“処女vs.非処女”の対立するジェンダーは登場しないが、新作では『アナ雪』路線にそい、“シスターフッド”を強化する新たなキャラクターが創作されているのだ。

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