立川シネマシティ・遠山武志の“娯楽の設計”第37回
映画料金はもっと自由になれるか? TOHOシネマズ料金改定を機に考える
東京は立川にある独立系シネコン、【極上爆音上映】等で知られる“シネマシティ”の企画担当遠山がシネコンの仕事を紹介したり、映画館の未来を提案するこのコラム。第37回は“映画料金はもっと自由になれるか?”というテーマです。
少し前に発表され、大きな話題となった6月1日から行われるTOHOシネマズの料金改定。この料金改定に対する反応はどうしても「値上げ」のワンワードで叩かれがちですが、もう少し丁寧に見ていきましょう。
映画館料金の変遷
今回の改訂は、大きく分けてふたつあります。ひとつは一般料金が1,800円→1,900円になること。あとは1,100円になっていた各種割引が1,200円になることです。詳細はTOHOシネマズの公式サイトをご覧くださいね。
僕があっと驚いたのは、ついに一般料金を改訂したことです。これはさすがTOHOシネマズと感嘆しました。2000年代に入ってからの、様々な割引やポイント制の増加で「日本の映画料金はバカ高い」という批判もだいぶ収まってきたところで、ここに率先して手を入れられるのは日本の映画館ではTOHOシネマズだけでしょう。
基本料金の改定は、実に26年ぶりです。1992年に1,700円から1,800円に値上げするところが出てきて、1993年には標準化しました。80年代を通して1,500円時代が続いて、それが1,600円になって1,800円まではすぐでした。
1,800円になった1993年というのは、実は映画館業界の「底」の時期です。昭和が2ケタに入って以降、最もスクリーンの数が少なくなったのが1993年でした(映画製作者連盟HP参照)。レンタルビデオ屋が普及しきって、とかく安く借りられるようになっていた時期です。
ところがこの年、現在のスタイルのシネマコンプレックスがオープンします。「ワーナー・マイカル・シネマ海老名」(現イオンシネマ海老名)ですね。ここから映画館は大きく変貌していきます。1962年からテレビの普及で減少の一途をたどっていたスクリーン数が増加に転じるのです。以後、シネコンは増加し続け、現在では全スクリーンの約9割がシネコンとなるまでに。
1993年は映画館にとって、かくも重大な転換期だったのです。このあたりから、実は映画館の在り方それ自体が変わり始めます。VHSビデオデッキがほとんどの家庭に普及しきって、映画は別に映画館に行かなくても観られるようになりました。
かつて映画館は「大衆娯楽の王様」と呼ばれ、多くの方が足を運びましたが、もうこのあたりからは「あえて映画館で観たい人がいく場所」へと変わり始めたわけです。
90年代の終わりからのいわゆる「シネコンブーム」は、大型ショッピングモールの出店ラッシュに乗っかって郊外から普及し始め、ゼロ年代には都市部にもできはじめます。もうこの頃から、新しいシネコンはどこも、おしゃれな外観や心地よい椅子、高級な音響やシャープで鮮やかなデジタル上映など「家庭では味わえないクオリティ」を売りにしてきました。単に「映画を再生する場所」ではなくなったのです。これが重要です。