『名探偵コナンと平成』の著者・さやわかが語る
『名探偵コナン』は平成の時代をどう描いた? 「真実はいつもひとつ」に込められた二重性
なぜ『コナン』が女性に支持されているのか
――『コナン』のジェンダー観も独特ですよね。
さやわか:『コナン』は女性の扱い方がすごく難しい作品です。青山さんはとても映画がお好きな方で、『ルパン三世』の中でも『カリオストロの城』はもとより『ルパンVS複製人間』が、あとは黒澤明の『椿三十郎』が好きという方です。その嗜好からすると、古風な男女観でエンタメをやるのは自然なことなんですね。蘭と新一の関係を見てみると、映画では「らーん!」「新一ー!」と互いに叫ぶシーンが定番になっていて、恋愛の要素が強く押し出されますが、ちゃんと調べるまでは、なぜこの作品が女性に支持されているのかわかりませんでした。
なぜなら『コナン』が描いているのは、ある種保守的な恋愛観だし、毛利小五郎のような昭和の親父みたいな人もいるし、男性主義的な感じですよね。男性向けのラブコメは本来そういった構造を持っているものだと思いますが、にも関わらず女性に支持されていて、映画も女性がたくさん観にきている。
詳しく漫画版『コナン』を読んでみるとわかるのですが、必ずしも女性がジェンダーギャップのなかで保守的な行動にがんじがらめにされているという話ではないんです。青山さんがよく描いているのは、ちょっと勝気な強い女性というような女性像なんですけど、その強さが連載が長期化するにつれて多様化していきます。新一が「蘭を守らなきゃ」と言っているのは、実は初期で終わっていて、蘭は強いと。他にも灰原やベルモットなど重要な意味を持った強い女性というのが次々と出てくるんですね。ベルモットが「A secret makes a woman woman(女は秘密を着飾って美しくなる)」と言うように、多面性、多様性を背景としたミステリアスさを持っているから女性の方が強い、とおそらく意図せずに、時代にあった価値観を提供しているんです。物語の趨勢を変える可能性を持っているのは女性なんですよね。
――灰原哀、ベルモット、キール、世良真純などは物語の中心人物ですね。
さやわか:そうですね。つまり、彼女たちはある種、保守的な価値観の物語の中にいるんだけど、でも女性が進歩的に描かれているから女性にとって楽しく読めるものになっているという構造なんです。僕は男性なので、その構造を慎重に考えて分析しないと取り出せないんですけど、おそらく女性の読者や観客はそれを肌感覚でわかっているはずです。女性は陰日向から翻弄するような立ち回りをすることしかできなかったというのが、平成の社会を象徴しているような気がしたんです。外国の作品においては、映画やドラマ、ゲームにおいても裁判官や市長や検察官、兵士など、女性がたくさん出てきますよね。でも日本だとそういう役回りになるのは男性ばかりが中心です。『コナン』はラブコメというのもあって、女性があらゆる場所で役割を持たざるをえない話になっています。だから佐藤刑事みたいな人たちがクローズアップされるような形に結果的になっています。もともと青山さんはそれを全く意識していなかったんだろうと思います。佐藤刑事や高木刑事だって、TV版から重視されるようになったキャラクターなので。でも結果的に女性キャラクターが世界観の中心に来るようになっているというのは面白いですよね。
――一方で男性キャラは作品を重ねるごとに変化が見られる気がします。本堂瑛祐のようなキャラクターの登場についてはどう考えていますか?
さやわか:瑛祐辺りから、怪しい人が明らかに怪しいんじゃなくて、気弱そうな男の子なんだけど、頭脳明晰な部分が垣間見えたりと、男性っぽい、女性っぽいとかだけではない、多面性を使い分けられるようなキャラクターのバリエーションが明らかに増えましたよね。一面的ではないゆえに、「こいつは敵かな? 味方かな?」という描き方を盛んに繰り返すようになっていて、それで読者の興味を引っ張るというパターン。キャラクターの作りはシリーズを通して洗練されてきています。その結果として、安室透や世良真純のようなキャラクターの深い内面を生む形になっているのかなと思います。