『グリーンブック』観客を楽しませつつ啓蒙する“大衆性”の是非 批判を生む背景から考える

『グリーンブック』にある“大衆性”の是非

 むろん、ランズマンがホロコーストを語る際みずからに課した上記の倫理は尊重すべきである。しかしランズマンの倫理は、ホロコーストを深く考え抜いた者にしか到達しえない、ほとんど哲学的な領域にある。こうした深い認識を多数に求めることは、難しい要求ではないか。むしろ現実的に必要なのは、かつてホロコーストが起こったという歴史的事実の周知であろう。山口はこう述べる。「消費される懸念よりいかに伝えるかという伝達と啓蒙の方が優先されなければならない」(前掲書 p46)。ホロコーストとはいったい何だったのか、現代において人びとに十分な知識や理解が行き渡っているかといえば、心もとない。たとえ厳密には問題についての掘り下げが甘いとしても、事実を人びとに広く知らせること、理解してもらうことは貴重ではないか。『グリーンブック』で黒人ピアニスト役を演じたマハーシャラ・アリは、こう述べる。「観客の中には、(黒人である)スパイク(・リー)やバリー(・ジェンキンス)の映画は観に行かないという人もいるのが現実。その人たちは、(白人である)ピーター(・ファレリー、本作の監督)の映画なら笑わせてもらえるだろうと思って観に行くかもしれない。そして実際に爆笑させられ、でも、思いもしなかったことを考えることになるかもしれない。そこには価値があると僕は思う」(劇場用パンフレット内記述)。

 こうした点からも、『グリーンブック』に対する批判は『シンドラーのリスト』批判に近いと言えるのではないか。『グリーンブック』を通じてさまざまな議論が起こったという事実ひとつ取っても、歴史的背景や文脈をそこまで深く理解しているわけではない日本にいる映画ファンには、ひとつの学びとなる。また作品タイトルが、南部を旅する黒人が宿泊可能な施設を一覧にした冊子を指すことも、あらたな発見であった(当時の南部では、公共施設やバスの座席、トイレなどがすべて白人用と黒人用に分かれており、黒人が宿泊可能な宿の情報は必須であった)。映画『グリーンブック』には、未知の情報が詰まっているのだ。黒人の入店を断るレストランが「個人的な含みはいっさいない、単にこの土地の習慣なだけだから従ってほしい」と述べる場面には、結果的に差別が温存されてしまう構造の複雑さが垣間見える。それらのすべてが、多くの観客にとっては発見であり、啓蒙なのだ。

 クセの強いふたりのキャラクターによるバティもの、ロードムービー、というアメリカ映画的なフォーマットを踏襲しつつ、笑える描写、思わずほろりとさせられる両者の関係性など、観客を楽しませつつ啓蒙するフィルムとしての大衆性を『グリーンブック』は備えている。この感情移入の力はまさしく大衆性であり、伝達させる物語のエネルギーであろう。このフィルムを経て、観客は次のステップへと進むことができるのではないか。その先には、スパイク・リーやバリー・ジェンキンスの作品があり、さまざまな書物がある。かくして観客は、差別問題へのより深い認識を獲得していくのだ。

■伊藤聡
海外文学批評、映画批評を中心に執筆。cakesにて映画評を連載中。著書『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)。

■公開情報
『グリーンブック』
TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
監督:ピーター・ファレリー
出演:ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ、リンダ・カーデリーニ
提供:ギャガ、カルチュア・パブリッシャーズ
配給:ギャガ
原題:Green Book/2018年/アメリカ/130分/字幕翻訳:戸田奈津子
(c)2018 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. All Rights Reserved.
公式サイト:gaga.ne.jp/greenbook

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